2007年八月 手術その後と主人の勘違い

ここでは、2007年八月 手術その後と主人の勘違い に関する情報を紹介しています。
術後二日目に二人部屋に移された。

その日から歩く練習をすることになった。びっくりである。そんなことをしたら傷口が開いてしまうではないか‼と、思わずいってしまった。
 昔は抜糸するまではそうだったらしいが、今は違う。傷口が開いてしまうことはないそうだ。逆に腸閉塞になったり、術後の快復が遅くなるとのことだった。

おそるおそる動いてみた。痛いの一言である。まだ尿管も点滴もいろんな物がぶら下がっている。とにかく前屈みにならないと歩けない。涙が出てくる。その日は午前中一回、午後二回しか歩けなかった。

でも日一日と薄紙をはいでいくように痛みが少なくなってきた。人間って本当に快復力はある物だと実感した。

やっと尿管も取れ、点滴以外はすべて外された。と同時に水も飲めるようになり、抜糸の頃には食事も出るようになった。

その頃、主治医であるA先生から、自分の病気のこと、ご主人から聞いたかと尋ねられた。確かに聞いてはいるが、先生の口からもう一度説明された。おまけにあと半日診察にくるのが遅かったら生命の危機も・・・・・とも言われた。

そんなある日、見舞いに来た主人、なんか違和感がある。そのとき私は看護師と話をしていた。

ふいに主人が、「手術当日、先生はなんと言ったんだっけ」と、娘に話を振った。娘の説明は私が先生から聞いたこととほとんど同じである。主人は驚いた顔をしていた。

「何をそんなにびっくりしているの」と、私と娘は逆に質問した。主人は私の余命が「早くて二ヶ月半、長くても一年」だと思っていたらしい。二人で大笑いだ。

今回の手術は破裂した大腸のほうが緊急性があったのでその処置だけをした。その傷が治って改めて肝臓の治療に入る。その治療の期間のことだったのに、それを私の余命と勘違いをしていたのである。

手術当日の記憶がないんだと主人は言う。娘から聞いたら、先生にしがみついて、「俺が変わってやりたい、俺の内臓と妻の内臓を取り替えてくれ」と泣き叫んでいたらしい。そして私の破裂した大腸を見せられて貧血を起して倒れたとのこと。看護師二人に、引きずられるように家族待合室に連れて行かれたそうだ。

娘がきちんと先生の話を聞いていてくれて助かった。今では笑い話である。

ところで主治医のA先生。とても良い先生である。見た目は取っつきにくい感じがする。主任の看護師が「外科医中の外科医」と表現するほど腕もよく、その分プライドの高そうな、冷たそうな・・・・。
でも一度話してみると、見た目とは全く逆である。患者が納得するまでよく説明してくれ、冗談もいう。

事務で勤めている知り合いからは、一番良い先生に執刀してもらってよかったねと言われた。町医者もガンの可能性がある患者には、名指しでこのA先生を名指しする医師もいるそうだ。

後から知ったのだが、ガンの認定医だそうだ。この先生が主治医でよかった、この先生のおかげで命を助けていただいたのだ、今でもそう思っている。

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように・・・。
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