息子

ここでは、息子 に関する情報を紹介しています。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
あんぱん父さん記

おはようございます。今日から息子(高2)のインターンシップである。心配で心配で帰ってくるまで何も手につかない。ただの親ばかにみえますが・・・・

息子について書かせて下さい。
 言葉がでるのが遅かった、男の子だからかなぁ?
保育園に入り保母さんから小学校へ行くために総合療育センターへ通うようすすめられた。ボーダー児である。
総合療育センターでは主に親の心構え、親の教育が主であった。そこには小児麻痺の子を抱えた若いお母さん、自分より大きなダウン症のお子さんを連れたお母さん、なとなど、しかしみんな明るい、一山越えているのだろう。
 就学の前、学校の言いなりになっちゃだめよ、がんばってね? と言われた。
前もって学校側には説明にいっていたので母さんが1年間付き添いで通い担任からも、もう大丈夫よ、お母さんよくがんばったね。
少したってから学校から呼び出しがあった。母さんが行けないので私がいくと(お疲れ様とでも言ってくれるのかなぁ。言われた通りしたからなぁ。)
校長室、山○崎校長である。丸秘と書かれたノートを持ってきて、お子さんの事ですが、お子さんの事を考えて特殊学級に通わせたら  1年したら戻ればいい・・・プチッ頭の中で何かが切れた。
わかりました。先生一筆書いて下さい・・なにを・・・わたしがあなたを特殊学級にいれましたって・・親は先に死ぬんです。その時に何で俺を特殊学級に入れたと言われたら言い訳できねぇ。・・・だからこそ自分で出来るように今から・・・子供より先に死ねない親の気持ちがお前に分かるか、教育者としては偉いかもしれないが、お前親としては最低だな・・・本当にぶっちぎれた! この親くみやすしと思ったのであろう。(知り合いの議員を使って飛ばしてやろうとマジに思った。)・・・いやいや親の心構えを聞いたまでで、・・特殊学校に入れる入れないは親が決める、世間様に迷惑かけるようであれば、周りがとめても、俺が入れる。高倉 健である。次から学校で会うと遠くのほうから○○さ~ん と愛想をふりまいて手を振っている。あんた出世するよ!げんに出世した。
 何という事でしょう何事もなく中学へ、中学に入れただけで大騒ぎである。高校は諦めていたが中学生になったら欲が出た。ねぇちゃんとは3つ違い「がんばれねぇちゃん弟を同じ高校入れるぞ計画」である。3年間高校の行事があると弟を連れて行き先生方に名前を覚えさせた。ねぇちゃんもガンバリ商業高校から大学進学が出来た。
 あんぱん母さん、おねぇちゃんより弟の方が出来がいいんです。来年よろしくおねがいします。その時には役員でもなんでもしますから・・言ってしまった。(後で後悔) 当然高校では息子には一言も喋らせなかった。定時制を考えていたが、担任から全日制を受けさせなさい。の言葉をもらい、一般入試見事合格 後で分かったのだが成績も3分の1以内だったそうである。小学校1年で担任だった先生(女)からオメデトウの電報を貰い高校合格の電話をすると個人的に内緒だそうで初めて息子を見たとき弟にそっくりで人ごととは思えなかったそうである。今ボーダーのお子さんが多くうちの事を例にして話しているそうです。有りがたいことです。高校に入ってからも、やはり言葉が聞き取りづらい為ちょっかいを出され学校にのりこんだ事もあります。最後に息子が切れて先生の前でたんかをきりそれ以来手出しはされなくなりました。(先生には、こっぴどく叱られたみたい)・・・(誰かに聞いて貰いたくて書いてしまいました。すみません。)

入院前あんぱん母さんは自分の身体の事より息子のインターンシップの事を心配していました。・・・やはり母親なんですねぇ!

がんばれよぉ~ばか息子!

看護師さんが気の毒に思い、あんぱん母さんを別の病室に移してくれるようです。
偶然にも、担当の看護師さんは実家のご近所、師長さんは中学の三つ下の後輩です。わがまま言ってみようかなぁ?

では、行ってきま~す。
スポンサーサイト
コメント
この記事へのコメント
おはようございます。
あんぱん父さんと母さん、強い気持ちと強い愛情で息子さん(もちろん娘さんも)を育ててこられたのですね。
息子さん、立派に成長されてこの先も安心ですね。
小さな頃は「苦労」だけど過ぎれば「思い出」なんですよね。
我が家の長男は中2で不登校になりました。
それまで「個性」と言われて障害とか疑われた事はありませんでした。
その後「強迫神経症」になり検査で「発達障害(アスペルガー)」と告知されました。
青天の霹靂??です。
私達は受け止めるのに随分時間がかかりました。
今でも100%ではありません。
家の中が荒れて「刃物を隠して」生活したり精神を病んでしまった息子に手をかけようと思ったり(ダンナ談)それはそれは大変な時期がありました。
今もうすぐ22歳の息子は作業所通いです。
ですがアスペゆえなのか甘えなのか周りから見ればゆる~い生活をしてます。
親の私達もお手上げ・・・みたいな。
その上娘の病気、妹の不明熱ですから。
おっと愚痴ってしまいました。
私達もあんぱんご夫婦の様な親だったら息子も少し違った人生になったのかな?と思いました・・・・。
2009/02/07(土) 07:59 | URL | ハル #Fcszghqo[ 編集]
ハルさん だいじょぶ! だいじょぶ!
話て下さってありがとうございます。文字に書くことは嘸辛かった事とおもいます。私たち夫婦は強く有りません、この子がいたら、おねぇちゃんが結婚できない。何度父息子死のうと思ったことか、しかし、産んだ責任を言っている妻を残せば必ず追うはずです。そんな時に限って暖かい人に恵まれどうにかここまでこられただけです。私は7才の時に父を事故でなくし普通の家庭というものが分かりません。テレビで見るような家庭を想像していました。必ず結婚するなら御両親揃っている方とと思っていました。妻と結婚したときやっと父親が出来た、と喜びましたが、妻と父とは仲が悪く私はおまけにすぎませんでした。
 他人は他人、我が家は我が家これしか自分達の生き方はできません。人の目をきにせずに、その時一番良い方法だと思えば実行してきました。
 一番辛いのは本人です。所詮親は手助けしか出来ません。でもする以上は命を張って守りたい、そう思いますよ、いつか必ず笑い話になる日がきます。
それを信じて今日一日頑張りましょう、娘さん達もがんばっているんだから!
 しっかりしろ・・・おかあさん!!

では
2009/02/07(土) 09:23 | URL | あんぱん父さん #-[ 編集]
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
http://shinji45.blog90.fc2.com/tb.php/125-505ca1fc
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。