2010年05月

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此処のところの忙しさ・・・・その原因が自分ではなく弟。頭に来たのでついネットで衝動買いしてしまいました。

それがこれです。

           さるぼぼ


枕と人形と、小さいのは鏡とストラップです。枕はがんセンターで横になるときに使おうと思っています。およそ5,000円。

それとおまけにこれ。
           
           ぷー

パソコンのすぐそばに置き、頭に来ると頭をポンポン叩きます。八つ当たり用のぷーさん、ちょっと可愛そうかな。

あと本当はのらくろのぬいぐるみが欲しかったのですが、これはもう生産中止だったのですね。買うことが出来ませんでした。いちど靖国神社で見たことがあったのですが、高価で買えませんでした。今だったらきっと買ってしまうでしょう。でも今は靖国神社はいけません・・・・・・。残念。




ではまた次回。

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今のままでは実家の売買が出来ないことだけが分かりました。ますは弟の住まいを探して空家にすること。それは良いのですが、問題は実母の成年後見人。特養に入った今、家の売買以外に後見人を必要としません。

施設にいるので身の回りのことは平気だし、お金など騙される事もなく、最低限生活は保障されます。会話は通じなくても仲間はたくさんいます。

それ以前に私自身病気持ちで無理でょう。お子さんは居ますか、と聞かれたけど、学生だからねぇ・・・・。息子は手帳持ちだし。後は父さんか、第三者に頼むこと。頭痛いです。第三者に頼むとお金かかりますしね。それでなくても400万以上のローンを精算し、実母が1000万近くのお金を何処か捨ててしまった今、お金を必要以上かけたくありません。

頭痛いです。




ではまた次回。

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今日、弟のローン一括払いをしてきた。勿論今までの貯金では足らない。二つあった保険を一つ解約し、残っていた父の貯金を少々回しそれですべて完済。

金額が大きいので。弟を連れ窓口に・・・・。聞けば分かるとほざいた弟、伝票一つかけない。振り込む相手に自分の口座を書いている・・・。違うと説明しても何度も失敗、最後には分からないから書けないという。私が書いたら物の数分もかからずに終わり。後は家の処分と弟の住むところを探すだけだが、それが一番大変なことだ。

今日は頭に来なかった変わりに腰に激痛、予定変更して銀行からがんセンター直行となった。痛み止めの薬がなくなっていたので薬だけ貰いに行ってきた。もう怒る元気もなくなったよ・・・・・。

姑の所へ行けば、食欲が全くなく以前入院していた病院に行ってくれ、とのこと。遠回しに入院を勧められた。


私も病人なんだけどなぁ。来週はY先生と精神腫瘍科の予約が入っているし、何で全部私がやらなければいけないのだろうか。

実母の施設では、「貴方が癌だから一番に入れたのですよ」といわれた。その言葉の裏に〝だから有り難く思いなさい〟と言う意味が含まれている言い方だった。母と一緒に住んで介護していたのは私ではなく、弟である。私の癌は二の次の筈なのに、弟に介護が全く出来ないから施設に入れたのに・・・・・。

私も入院できる物なら入院したいわ。その方が楽だもん。でも入院するほどではないのよね、抗ガン剤か変わらない限りね。入院したら父さんがその分大変になるだけだし。はあ・・・・




ではまた次回。

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昨日予定通り、Y先生のの講演聞いてきました。

看護師さんに「先生は知って居る人がいると、壇上で固まってマイクを落とし、頭か真っ白になって何も話せなくなるから気を付けてね」と言われていたのに、しっかり父さんがばれている・・・。時間ぎりぎりに行き、奥の席しか空いていなかった。先生のそばを通ったのにかかわらず父さんは全く気が付いていなかった。

私の顔を見た先生、もう笑っている・・・・・。とりあえず私が挨拶したときに、初めて父さんは気が付いてらしい。それを見た父さん、私のほうからわざわざ先生の所へ行った、と思ったらしい。席に着いたら怒っている。

ばれたのは父さんのせいだよ

私が気が付いたときには先生はもう分かっていて、笑顔でしっかり目と目が合ってしまったんだよ、と、教えてあげた。父さんのお馬鹿

それでも看護師さんの言うとおりではなかった。初めて見るスーツで講演し、なんか病院にいるときより元気である。わざわざ行ってあげたのだから、私の診察の時は前のように、元気で明るく診察してね

しかし疲れた・・・・・。場所は青山、乗り換えは1回で済むのだが、すぐに疲れる。今日はもう一日寝ていた。以前そんなことなかったのにね。癌のせいか、薬の副作用か、体重のせいか・・・・。せっかく都内まで出たのでノンビリしたかった、まっすぐ帰ってきてしまった。はあ・・・・。


兎に角先生の講演いけて良かった、次回の診察日が楽しみである。




ではまた次回。

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この暑さのせいか、ずっと横になりっぱなし、だるくて仕方がない。と言うことでブログもさぼってしまった。

27日には精神腫瘍科というのが5月から出来、私がめでたく患者一号となった。おもに心療内科的なことをする、精神科の医師が新しく採用されたのだ。

心療内科に通うのが嫌だという私にとって、とっても嬉しい話だ。Y先生の診察日とは違うが、どうせ色々検査をしなければならない。27日も元々MR検査のあった日、これからはあわせて日程を組んでくれるだろう。

まだ若い先生でとっても優しそうな感じである。ちょっとホッとしている・・・・・。でねMR検査の結果が怖い・・・・・・・。





ではまた次回。

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弟が騙されたローンの支払い、全額払わなくてはならなくなった。一度引き落としを止めたため、弟と待ち合わせをして銀行に行った。水道料金、税金、電話代なども支払ってきた。

公共料金を何で銀行引き落としにしないか、と聞いたら、やり方が分からないという・・・・聞いた私が馬鹿だった。

その後一度解約した保険金、解約した後で一度だけ引き落としがあったので、郵便局で戻るという書類が届いた。勿論弟の名前なので同席して手続きし手お金を貰ったが、何のお金だ訪ねたら、その書類を見ているにも関わらず、知らないとのこと。

きっと私が気が付かなければそのままだっただろう。だまされて判子は何度も押せるのに、常識が伴っていない。それで居てこの次から出来るという・・・・。頭に来たので、じゃあ全部書類戻すから、自分と母のこと私に頼らずにやってよ、と言うと、出来ないという
だったら初めから出来と言うんじゃないぞ。

そのまま役場にいき、一つ手続きを済ませた。特養に入り、老人一人暮らしと同等の扱いになっているらしい。年金しか収入がないと、支払いが一定基準を超えた場合、その分が戻ってくるそうだ。とりあえず去年の12月と今年の一月分。と言うことはそれ以前の分もあると言うことだ。

これからは書類がうちに回ってくるから良いが、その前の分は書類なんてない。つくづく弟が嫌だ、と思った日だった。

私も名字は違うが娘には違いないが、施設に関しても何でも、弟が書いた物に私が口出しできないという。理由を言って、施設に届いた書類話私に下さい、と言っても契約したのは弟だから、例え実の姉でも渡してはいけないそうだ。戸籍をとって親子関係が証明されてもダメだという。でも私は一応緊急連絡先になっている。

緊急時には来て貰わないと困るが、葉書一枚渡すことは出来ない・・・なんか矛盾を感じた。その葉書が緊急性のある物だったらどうするのだろう。弟に渡したらなくするのが分かっていて、焦って居るのに。規則って何だろうね。





ではまた次回。

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国立職業リハビリセンターに通っている息子の、相談日で所沢まで行ってきた。

5月末まで一応研修期間となっているが、4月から通い始め、一通りの研修が終わり主にどんな事を学びたいかに希望を取り、それが決定した。

息子は希望通りITコースになった。体力がないため物流コースはパス、ホテル業もあったのだが一番苦手なコース。情報処理科で3年間覚えたことをもっと深く覚えたい、と言う想いがかなったのである。

6月から本格的にコースに別れ勉強していく。一年間と言う期間だが、早い人なら年内中に決まってしまう人もいるとのこと。

楽しんで通っている息子、少々期待している。頑張れよ、息子


ところで、所沢、航空公園駅周辺に、ハッピーパンダと言うのが時々出没するらしい。これに遭遇すると幸せなことが待っているとのこと、息子には毎日探してね、と言っているがまだ出会ったことはない。どういうパンダだろうか。興味がある。

所沢ならパンダより、トトロだと思うのだが・・・・。所沢にはトトロに出てくる〝松郷〟という地名がある。所沢から狭山丘陵にかけ、トトロの森と言われている。出てくるならパンダよりもトトロの方が良いな。

そうそう、今日は〝息子の給料日〟職員に言わせれば、給料ではなく、仕事を探す為の費用だから無駄遣いするなと言う意味があるそうだ。それは大丈夫だろう。息子・・・・娘も・・・・・ケチである。小遣い分3,000円をおろせばいいそうだ。一年通ったら随分貯まりそうだ。就職したらスーツも必要だし、色々お付き合いもあるだろう。大事に使ってねと言っておいた。





ではまた次回。

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今日は、このページを開くだけで疲れています。一日横になっていました。なので今日は休みます。


では、お休みなさい



ではまた次回。

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今日は親の面会日。両方行ってきた。どちらも相変わらず元気である。ただ、姑の食欲が減っているとのこと、次回にふりかけやのりの佃煮を差し入れ持って行ってあげよう。

ついでに知り合いの不動産やさんにもよって、いろいろと相談してきた。名義変更や相続には、どうしても母親の成年後見人にならないといけないらしい。

私は後見人になるつもりは全くない。と言うのも特養に入っていて生活面では全くの心配はないし、勿論騙されてお金がなくなるという心配もない。癌だと言うこともある。
 しかし認知症で実印も取れず、サインも出来ず、コミュニケーションも取れず、委任状もかけず、判断能力のない母にはどうしても後見人が必要だそうだ。勿論弟に出来るはずもない。面接があるからそれで振り落とされるはず。

後見人になるにはいろいろな制約もあるしお金もかかる。第三者に頼むお金もない。そう言う場合はどうすればいいか・・・・。後見人になるとしても結果が出るのは8月にはなるだろう。未だ父の名義になっている土地家屋、名義変更できるのはそれからだ。売買はそれが済まないと出来ない。


司法書士さんを紹介して貰い、来週から具体的に話を進めていくつもりだが、土地を売る予定の相手(実家のおとなりさん)からは、家を解体する費用の事でいろいろと言われている。ウチの話した金額と、自分で調べた金額が倍近く違うそうだ。
 
お隣さん、急がないって言ったのだけどなぁ。

私達が頼んでいる会社はこちらの地元、実家のそばではない。その知り合いが、今後のことを考えれば(ついでに境目のブロック塀も取り壊すのだそうだ)後で揉めないよう先方の調べた業者に頼んだ方が良いというアドバイスを貰った。解体費用は、ウチが出そう。そうすれば問題は一つ解決だが・・・・・。

どうするにしても私たちはこういう事に関しては全く分からない。司法書士さんは知り合いの不動産やさんの紹介だから安心して任せられる。なので、事情を説明してどうにか上手くいくよう願うのみだね。

いつになったら、自分の病気治療に専念出来るのだろうか。



ではまた次回。

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今日は朝から父さんが弟に電話をかけていた。結婚して23年、初めてのことである。

さすが昨日のローンの精算話が相当頭に来たようだ。脅しをかけている。全く払っていなければ1000万以上のローンである。怒るのも当たり前だ。

今残りを払ってもお前の貯金では全くたりないんだぞ、どうするんだ家を買ったお金で返すようになるんだって・・・。

ただ半分払ってあるのもあるので、貯金がたりないと言うことは・・・・・・多分無いとおもう。が、ローン会社の計算書がまだ届いていないから、正式にどのぐらいになるか分からないが、貯金が殆ど残らなくなるのは事実。100万もあればいい方だと思う。多分100万は切るだろう。ローンに利子がついて金額が多くなるというのも、知らないという。

給料が高校新卒以下、貯金がそのくらい、年が今年50歳。定年になったらどうするのだろう。一人きりの生活、これから家がなくなるというのに・・・・。

本当に弟の将来はない、これで終わった・・・・と思った瞬間だ。
ローンは懲りた、と言いつついくつものローンを抱えている弟。ローンがダメなら何十万というお金をおろして渡してしまう弟。私が通帳を管理して月々の必要な分だけ渡すことにしているが、それも遊びに使ってしまい、生活費がたりなくなると言う。

連休中にも遊びに行ったそうだ。5月分の生活費がそれで半減した。私は残りで生活しろと伝え、そのままにしてある。月末に来月分の生活費を渡し、それで生活できるといった・・・・公共料金は引き落としだからまず安心だが、それでも給料の半分以上無くなるのだ。ローンがあったら勿論赤字である。それを綺麗にしてやっている最中なのに、何を考えているのだろう。

自分の責任で1000万以上の借金して居るんだという自覚が全くない。生命保険ふたつを解約してやっとやっとお金が増えた所なのに結局はローンでヘロヘロなのだ。

近いうちに相続の手続きをするが、家を売ったお金をどうするか、考えただけでも頭が痛い。こういう人間にも財産を相続する権利があるのだろうか。母親でもお金がかかっているというのに・・・・年金があるだけ安心だ。母はそれで生きることが出来る。が、弟はお金が無くなる。財産全部を今後の弟のために渡さなくてはいけないのか、と言う疑問がある。

兎に角、弁護士さんにすべてを話し、相談するしかないのかな。お金が絡むと大変だ。ああ、もう嫌だ。


追伸)先日書いた、免許のことを聞いてみた、何と試験場でうける免許更新、これで3度目だそうだ。一度目の前は地元警察署だったらしいが。6年以上、違反を多量にしていると言うことである。
 本人曰く、一時停止で捕まることが殆どだそうだ。何年間も同じ違反で捕まれば普通はもう懲りているはずである。先日一時停止でその先日一時停止線超えて私が注意したとき、止まったじゃないかと怒鳴った弟、警察官にも同じ事を言っているのだろうか。バイク全部が線を越えている。そんなことが通用するはずはない。

一時停止違反で三回も続けて試験場で講習を受けてからの更新・・・・そんな人間がどこにいるだろうか。見つかっていない数もあるはずである。そのうち事故で人をはねて怪我させるか、自分が車にぶつけられるか。一度一時停止をしないで大けがをしたことのある弟、全く反省の色かない。人生すべてにおいてふざけすぎている。

自分の置かれている立場が全く分かっていない。これはある人から言われた言葉である。それから私の苦労が始まったのだが、私からももう一度同じ言葉を言いたいよ。



ではまた次回。

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CT・血液検査の結果、めでたく異常なし

なのだけど、で、この傷みの元は何と言う堂々巡りになる。父さんの言う〝伯父の傷の跡〟ではもう納得しないぞ。でも原因が分からないので、痛み止めを飲むしかない。来週のMR、上を向いているだけで痛くなるのに平気だろうか。薬を飲む時間を考えないといけなくなった。

午前中は弟のローン返済の後始末。これが電話のたらい回し、用件によって担当と部署が違い、こちらから次回誰に聞けばいいかと言っても、かかってこない限り分からないとのこと。要するにそのときに手の空いている人がでるらしい。もうそれだけで疲れた。明日は弁護士さんの日だったが予定を延ばして貰おう。病気しながらの手続きは大変だ。

そうそう、次回から精神のメンタルもがんセンターで診察できることになった。今までの心療内科の先生は苦手、これで助かった。検査の日程にあわせて心の相談も出来、精神安定剤や睡眠薬の処方もしてくれる。有り難い話である。

癌である以上、他の病気よりも精神面での相談は多いはず。まだ今の病院は緩和ケアがあるから良いが、それでも通院患者が緩和ケアに行くにはは時間がかかるそうだ。外来で相談できることに感謝

もう一つおまけの話。

診察を待っている間に、隣のおじさんから抗ガン剤の副作用で手に力が入らないから、蓋を開けて欲しい、と言われた。快く引き受け、雑談が始まった。

今、72歳なのだが、2年半前に膵臓癌がわかり、治療に来たが、13個という数と手遅れのため余命を宣告されたそうだ。それが4ヶ月。もう年だからと、諦めていた。手術も私と同じ主治医から〝出来ない〟と言われたそうだ。あの自信満々の腕の良い・評判の良い優しい先生も余命を言わざるを得なかったそうだ。

それが・・・・抗ガン剤が効いて、今は13個あった癌がたった三つだそうである。一番驚いたのが抗ガン剤治療をしている今の主治医だそうだ。がんセンター始まって以来の出来事だそうである。(本人談)

でも、これは良い〝誤診〟だね。人間って、不思議な生き物だ。私も70過ぎのおじいさんに負けていられない。いい話を聞かせてくれたおじさん、どうも有り難う


ではまた次回。

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もう最終日の話である。この日の予定は、違う意味で大事な日だった。

コースは、ひめゆりの塔・ひめゆり平和記念資料館=おきなわワールド=琉球ガラス村・昼食=国際通り自由散策=那覇空港であった。

ひめゆりの塔は父さんも書いてあるとおり、私の亡くなった伯父が行って欲しいとお願いされた場所である。その後初恋の相手とはあの世で出会い、お友達から始めましょうと言われたそうだ。いまごろ〝青春真っ最中〟であろう。良いことである。持っていった花と現地で買った花を供え、ラベンダーの香りのお線香を焚いてきた。

ただ、やはり私はすべてを見ることが出来なかった。まずはひめゆりの塔で周りの臭いや空気にむせ、その場に立っているだけで精一杯だった。資料館内も初めはまだ我慢できたが、ひめゆり部隊の10代前半の高校生の写真がパネルとして展示されている部屋は、入ったとたんに寒気と大きな悲しみ。涙が止まらずそのまま何も見ることが出来ずに、あんぱん家族は早々に出てきて、休憩所で他の方を待つしかなかった。

父さんは、「悲しまないで下さい、私達は一生懸命生き抜きました、生きて家には帰れなかったけれど、家族の為、友人のため戦い抜きました、褒めて下さい・・・。」と言うけれど、私には全く正反対の感情がある。その言葉が悲しいの・・・・・・。ウチの子どもたちと同世代の人たち、それを私は我が子にもそう思えるか・・・時代が違っていたらと、つくづく思う。女親の感情かなぁ。

沖縄だけではない、唯一被爆国として、戦争は伝え受け継がれなければならない、とつくづく思った。まだ亡くなった人のお骨は、沖縄の土地の何処かにあるだろう。

今、普天間基地でも揉めている。帰る途中、右側にアメリカ軍基地・左側に自衛隊基地という道路を通った。両方とも金網・鉄柵で覆われているが、基地を覆っているのではなく、一般道路が金網に覆われているのではないかという錯覚にとらわれた。

偉そうなことを言ったかな。今までは他人事だと思っていた。いくら戦争が・・・米軍基地が・・・と言っても他人事だと思っていた。


ただ、沖縄にも住んでいる人がいる。観光地としても有名だ。修学旅行生も多く行っている。それも現実なんだよね。今回沖縄に行って、私は何を得ることが出来ただろうか。少し考えてみたいと思っている。

そうそう、最後の写真になるが・・・

 鍾乳洞   シーサー

左側は鍾乳洞の中である。おきなわワールドにあるのだが、この施設の長さに相当する距離を歩いた。つまり入り口から入って、出口で上がったところのさきにはもう施設がなかった、と言うことである。鍾乳洞にはいると否が応でもおみやげ屋さんやいろんな施設を通らないと、帰ることが出来ないのだ。

でもそれも面白かった。いろんなおきなわ特有の名産やそれを体験できる施設がある。子どもがいろんな物を作っていました。下手な観光より良い想い出になりそうでした。私自身〝その土地でしかできないこと〟を経験するのが大好きなので。

右側は勿論シーサー・・・・ですよね。面白いので父さんがすぐに撮影してしまいました。勿論高いので、購入できずに見るだけとなってしまいました。

最後の国際通りはもう疲れてしまい、何と沖縄で初の〝ドクターフィッシュ〟を経験。10分500円という安値、早速四人で足を入れ・・・・あまりにものくすぐったさで前半5分は大騒ぎ。残りの5分で綺麗に掃除して貰いました。

それで今回の沖縄旅行は終わり。羽田に着いたのが午後7時、預けていた荷物を受け取り自宅に帰ってきたのが夜遅く・・・でした。疲れたけど、きっと私には良い経験になったことでしょう。



ではまた次回。

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どうしても書きたい事がある。悪口を言いたくないが、書いてしまうと悪口になっている。

今弟の家の郵便物が、我が家に転送されるよう手続きを取っている。そうでないと大事な物も開封せずに捨ててしまうからだ。実際ねんきん定期便と定額給付金、がそのままになっている。母は年金がきちんと入っているし、弟も勤め先を殆ど変えていないからそれは良いのだが、結局は32,000円は貰えなくなってしまった。

昨日間違えて弟の書類一通を開けてしまった。そのまま・・・・・にしようと思ったが、物は葉書、中身を見たくなくても見えてしまった。内容は免許更新。原付しか持っていない弟、何と未だに〝ブルーの三年〟であるゴールドまたは五年ではない人を初めて見た。勿論免許更新は地元警察署ではなく、遠くにある免許試験場。そこに行って講習を受けないと更新されない。

ちなみに大声では言わないが、私たち夫婦は一度も試験場での講習は受けた事がない。

思い当たる節がある。先日駅前にある銀行で待ち合わせしたときに、一旦停止線で止まらないのだ。バイク全体が停止線にはみ出して50センチぐらいして初めて止まる。

違反だよといったら、止まったから違反ではないと自信を持って大声でいう。それは間違っているそ。停止線で止まり、左右の安全を確認しながら見通しの良い場所まで来て、そこで安全確認が出来て初めて前に進めるのだ。

そう言う微々たる違反が多いのだ。車を毎日運転している主人、ずっと無事故無違反のゴールドだ。私も今は運転を再開しているが、怖いのもあって、超安全運転、教習所の車と同じ運転だぞ。

そして、また私たちが弟の事で色々忙しい想いをしているのに(自分のこともあるが)休みに一人で遠出して、お金がないとのこと。借金を作り、年々100万ずつ貯金か減っているというのに、新幹線で日帰りで、出掛けるかぁ遊びに行きたいなら、すべて綺麗にして何もなくなってから行けばいい、と言っているだろうが個人情報、これ以上言いたくはないが呆れて物がいえない。

一時停止だけでこんなに点数が増えるはずがないから、いろいろと捕まっているのだろう。交通法規も分からない人間が運転するな。事故起こして相手が大けがしたら、自賠責しかない弟、どう責任を取るのだろう。医師は社会性があるというが、免許のことといい、下着姿で出掛けることといい、今までの言動を見ていると社会性なんてあるはずがない。

すべてを従兄弟に昨日説明したら、従兄弟曰く、○君(弟のこと)の将来はもう終わったねだって。。。思わず同感だよと叫んでしまった。

未だに私に怪我をさせたことも何も感じていない、謝罪の一言もない。そう言えば救急車呼んだのはお隣さんの娘。たまたま孫つれて遊びに来ていて心配してくれた。救急車に乗るときも見送ってくれた。弟はさっさと自室に入って我関せずだった。

弟よ、絶対に私の葬式には来ないでね。って。。。。。弟より先に死ねなくなってしまった私である。
その前に・・・・・。今日は緊急診察の予約を入れました。右脇腹の痛みが消えないからです。CTとMR検査の予約を入れ何が原因かを突き止める事にしました。先生も相変わらず首をかしげています。父さんは帰ってきたら治ると言ったのにねぇ。

まぁ、原因が分からないことには仕方がありません。どんな結果になっても治療方法が分かれば安心します。忙しいけど頑張らねば

その合間に、息子の進路相談や弁護士さんへの依頼、本当に忙しい毎日をおくっています。医師からは骨転移なのだから無理せずに、と言われているけどもう此処まで来たら内緒です。許可なんて取る暇ありません。

では、沖縄二日目の話。その日は何事もなく無事に終わった一日でした。予定は・・・・・・。

琉球村=万座毛=パイナップルパーク・パイナップル食べ放題付き=海洋博公園=美ら海水族館・昼食=ギャラリア沖縄での買い物です。買い物は免税店でもありましたが、私たちには関係ない所でした。

とりあえず写真をアップ。

万座毛 海

左の写真は有名ですのでお分りの方もいるかしら。海水で岩が浸食され、象の鼻のような形に見える、観光スポットです。さすが沖縄、海は何回見ても綺麗ですね。見飽きません。


  霧

海洋博公園の入り口にあった霧の降る機械。確か、東京でも駅にも有り涼しさを呼ぶとニュースになった物と同種類だと思います。確かに涼しかったですよ。多くの子どもたちがびしょ濡れになるまで遊んでいました、それでは意味がないような気がしますが・・・・。


  人工しっぽ

これはフジちゃんという名のイルカさんです。これも皆さん覚えているでしょうか。

尾びれが病気で切れて無くなってしまったところを、ブリジストンが自社の技術と知識を使いタイヤを利用して試行錯誤の跡、立派な尾びれが再生したというあのイルカさんです。

それが私たちの目的の一つでもありました。さすがに年を取ったのか元気はなかったようですが、別のプールで堂々と泳いでいる姿を見て、私も頑張らなくては、と元気を貰いました。

美ら海水族館は坂道が大変だ、と最初に言われていましたが、私たちから言えば旭山動物園の半分程度、軽い物です・・・・・。

とはいいつつ、やはり疲れました。免税店の買い物は元々興味なく(買えないというひがみもありますが)買い物はせずにその間はゆっくり休んで皆を待つことに。ホテル内にあるレストランのバイキングで夕食をすませ、早く寝ることにしました。



ではまた次回。

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沖縄第一目の予定は、那覇空港到着昼食、その後首里城・守礼門=東南植物楽園=座喜味城跡=残波岬・ホテルでした。


守礼門  首里城

これは首里城・守礼門です。左側中央の二人はもちろんあんぱん夫妻ですよ、。今頃2,000円札はどこへ行ってしまったのでしょうか。

 首里城に   ホテル 

首里城での子ども二人と、泊まったホテルです。夕焼けなら綺麗だったでしょうが、その時には夕食先に行っていました。そこで事件が起きたのです。父さんのところで読んだ人は知ってますでしょうか。

オプションでの夕食です。沖縄料理と言うことで兎に角楽しみにしていました、ホテルまで向こうの方が迎えに来てくれました。

乗ったマイクロバスですぐに発生・・・私のみ臭いでむせていたのです。運転手さんの真後ろだったので我慢して到着。付いたときにすぐさま父さんに言ったのですが、匂わないとのこと。店に入ってその臭いの元が判明、〝お香〟でした。それも微かに匂うのではなく蒸せるほどの臭い。それが人間を通して車にも着いている。

そう思っていたのは私だけでした。兎に角空いている席に通して貰い、踊りと唄を見物しながらの食事、美味しいのですが喉を通りません。父さんと席を変えてから食事は取れたものの父さんがアウト。だって真後ろに異様な物があるのから。神棚ではありません。私にはいはいにしか見えませんでした。遠くにまで席を外して貰ってもお香でむせ、料理の味なんて全くせず、途中で断念・帰るることにしました。

靴を履くときには私はおお泣きです。首里城の女官のせいらしいですが。悲しくて悲しくてその場に居る事はできませんでした。

食事が取れなかったのは残念なことでしたが、帰ってきてホッとしたのは事実。海を見て癒されていました。ホテルには珍しく大風呂と露天風呂のあるホテル。体を休めました。

私にそんな感覚があるなんて・・・・鈍感だったと思っていたのですが、やはり病気で〝死〟を間近に見た私、感受性が強くなったのでしょうか。人の悲しみに敏感になってきているようです。良いことだと捕らえていきたいです。



ではまた次回。

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しばらくは治療もないし、弟のことも殆ど解決しているし(多少残っているが)沖縄のことを書き綴っていきたいと思います。

二泊三日の予定しか取れなかったので、今回は本島だけと思っていましたが、二度と沖縄だけには行けないと感じています。

勿論、楽しいことの方が多かったしノンビリすることが目的だったのですが、申し込んでからの方がいろいろあったかなぁ。
 申し込んだこと自体、勢いでした。余命を宣告され、私もパニックになっていたでしょう。ターミナル駅を乗り換えに使っている娘に頼み、〝沖縄旅行〟のパンフだけ貰ってきました。三日間という日程なら、関東に住んでいる人間にとって、もっとゆっくりのんびりする場所はたくさんあったはずなのに、何故沖縄なのか・・・・。

理由は後から分かりました。

戦死した私の伯父・・・・・父方の伯父ですが、この長男と、次男である父・三男で20歳で病死んだ叔父とは母親が違い、複雑な家庭でした。伯父は15で戦地に向い、21年の終戦翌年にソ連の収容所で戦死したと言う一報だけの報告だと聞いていました。

実は、銃弾で右脇腹を打たれそれが原因で無くなったそうです。それが今の私の脇腹が痛いと言っている場所らしいです。先祖の声が聞こえる・・・・ついに私の先祖の声まで聞こえている父さんがそう言っています。

そして亡くなった実父と施設に入っている実母が言っている〝話と事実〟が正反対だと言うことが分かりました。父と母が舅・姑、戦死した伯父にしたこと、それと同じことを弟がしているそうです。

私たち姉弟は正反対の性格。弟は両親にそっくりだそうです。私はなくなった姑。母は姑の介護を全くしなかった。弟もそうです、母は神様に仕返しをされた・・・。子どもの頃は信じていた〝私は姑の生まれ変わり〟と言う言葉。母は姑を嫌っていましたが、実際は父が自分の実の母を嫌っていた。

でも本当は物優しい姑と伯父だったそうです。財産の件で長男であった伯父の原戸籍を取りに行ったとき、姪っ子がやっと僕を迎えに来てくれた、と、父さんに言ったそうです。

死亡診断書だけでこの世にいなくなった私の実姉と、伯父と祖母の写真をあんぱん家の仏壇に置きました。あの世で3人で〝やっと心癒される家に帰ってきた、有り難う〟と泣いているらしい。

その伯父か言うのです。

ひめゆりの塔にまつられいる高校生の中に、僕の初恋の人がいる。なのでかなわないまでも、僕の気持ちを伝え花を供えて欲しいと・・・・・。それと同時に脇腹の痛みもなくなるよと。

最終日に予定されているコースです。すぐに一年は持つという特殊加工された花を買い求め持って行きました。(その話はまた後でしますね。)

では、また明日に続きます。



ではまた次回。

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今回は血液検査の結果も良く、無事終えてきました。ただ、前回ポートがひっくり返りそれを先生が手で元に戻したため、血液検査結果が出るまでの間レントゲンで異常がないか確認。特にこれも異常なし、安心しました。

で、ところで、Y先生の状態。一週間の間に二日間しか診察日がない珍しい週間。さぞかし先生はいらだっているだろうと思ったら大違い。

なんと、この三ヶ月の異常だったと思える

先生の行動が、去年の普通の状態に戻っ

ているではないか。


看護師もおかしいと思っているY先生、ゴールデンウィークに何があったのだろうか。〝AR先生の、Y先生の方がおかしい、医師として患者に言ってはいけないことだ。ノートに付けておきなさい〟の言葉が通じたのだろうか。

このAR先生、同じ消化器内科の副部長、Y先生と同じ立場の女医さんである。美人の上、腕も良く評判の良い医師だ。この一言でファンになった私、女心の難しさがY先生に伝わったのだろう。

尚、外来にいる看護師さんも強い。きっと、男の更年期なのよ、だとか、この若造が患者を虐めて、医師としてどういう発言なのよ、と怒ってくれる、患者に取って強い味方。

最後に私も意地悪をしてみた。

私 「先生、余命は誰にも言うのですか」
先生「聞かなければ言わないけど聞かれれば言うよ」
私 「じゃあ、私の余命はいつですか」
先生「あんぱん母さんのはまだ分からないよ」

おいおい、先日話した桜の咲く時期まで保たないという私の余命は、いったい何嘘付いたと言うことか
出るときに、父さんが「この3ヶ月間、母さんはとっても悲しんでいた。先生の言うことが理解できなかったし今でも自分の状態を先生に聞けないって言っているんですよ」と言ってくれた。

先生が一言ご免なさいと謝ってくれた。一流大学出身で、その分知識も技術も経験もあるエリート医師であり、なおかつ優しくて最後まで話を聞いてくれる先生だ。今までは、先生のその態度だけでも救われている私である。

今年に入ってからは本当にがんセンターへ行くことが辛くなっていた。少しだけだが先生も気が付いたか、元の先生に戻ってきている気がした。

他の医師なら、エリート医師だとか出身大学を鼻にかけて謝ることをしらない医師も多い(弟の主治医が典型的なそういう医師である)中で、がんセンターは珍しい。患者に素直に自分の非を認めるのである。勿論事故とかそう言うのではなく、自分の話した言葉の事だけだが、患者にしてみれば嬉しい。
とりあえずしばらくがんセンターで様子見ようかな。本心はA先生の?僕の所に戻っておいで?に惹かれているが、どうせY先生とA先生は個人的に繋がっている。時期が来たら戻れるだろう。それを期待している。

実はこれにはもう一つ裏がある。裏と言うよりも主人がご先祖さんから聞こえたという話。

Y先生には私が通い始めたときに、一人の若い医師と組んで私を診察してくれていた。それは医師がたりずにY先生が直々知り合いに頼んで引き抜いた医師だが、独り立ちしY先生の患者を何人か任せられて楽になったときに、元の大学病院からも人手の問題で、その先生が帰ってしまった。

次に来た若い女医さん、私のラジオ波を一人で終えてしまった腕の良い先生、この先生は独り立ちにする前に妊娠・出産で、いま育児休暇の真っ最中。全部患者さんがY先生一人で診察することに。

先生がもっと周りに助けを求めれば良かったのにそれが出来ない先生。私がA先生に呼び戻されると言う話があったときに、せめてそれを良しとすれば良かったのに・・・・・。性格上出来ないみたいだ。

その時期に主人が聞いた話というのが・・・・・

Y先生もA先生も、言葉は悪いが、患者に冗談言ってからかって息抜きできる患者は私だけなのだそうだ。それで先生の気が楽になるので、両方の医師が私を手放したくないらしい。それに夫婦で明るくどこ行ってもげらげら笑っている私たちかせ前向きに治療をするというのを良く理解していて、医師としては一番扱いやすいそうだ。

そんなY先生が私達に出ていけと言ったのは本心ではないし、今は全く私たちに何を言ったのか覚えていないだろうって・・・・。他の先生が立て続けにY先生の元を離れ、残ったのは患者だけ。産休に入ってしまった今年からY先生の疲れとイライラとどうしようもない想いが、患者に対して態度に出たのだろう。

この三ヶ月、患者が頭にて、Y先生の態度が原因で、同じ病院の違う医師に変えて貰ったか、他の病院に紹介状を書いて貰い病院自体を変えてしまったか・・・・。良い意味で患者が半減したから、元のY先生に戻るよ、だからお前達も焦らずにゆっくり治療しなさい。A先生の所に戻るのも遠い将来ではなく、きっとすぐにそう言う話がY先生からあるはずだから・・・・

だそうです。今残っている患者は本来のY先生の姿を知っていて、きっと何か理由があるはずだ、と思っている私たちのような患者か、自分の主治医は誰でも良いぞ~とおもう脳天気な患者(またこの脳天気が癌治療には良い薬だそうだ)らしい。

そう言うことで、取り合えず、がんセンターで治療を続けることに決めました。やっとほっとできた私が此処にいます。




ではまた次回。

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ブログ更新、久しぶりです。落ち込んでいたのではありません。疲れすぎたのか、年のせいなのか(多分これが一番の理由でしょう)更新する元気が出ませんでした。遊びに行って楽しい思いして、何で贅沢なことでしょう・・・・と言いつつ、写真の整理も全くしていません。なので沖縄旅行の話、書きたいことがたくさんあるのですが、もう少し待ってくださいね。沖縄旅行は楽しいこともたくさんありましたが、悲しい話もありました。いずれ順を追って書けるようになったら書こうと想います。

今日は旅行以外の話

まず弟の件。沖縄旅行の事より頭に来て悲しくて辛い話です。なので途中経過の話のことは二度と思い出したくないし、書きたくないので結果だけ話します。

○検査結果、以前医師が話してていたこととは正反対の結果がでたこと。要するに障害者ではないと言うこと。
○弟がそれを聞いて高飛車の態度に出て、私たちの話を聞かなくなったこと。
○なので成年後見人になれなくなったこと。それは反面ホッしている。

そこで私たちが出した結論。
○早く土地の名義を変え、財産分与をしてきれいにすること。
○次にこの土地をお隣さんに売却すること。勿論弁護士か司法書士さんなど、資格を持つ第三者に間に入って貰うこと、周り近所・警察・PTAに変人扱いされているのを知っているため、契約成立後本人が戻ってるのを防ぐために更地にすること、が条件。
○弟は障害者でなくても業者の説明割を理解することなく判子を押し、自分の給料よりもの多くの借金を作ってしまうので弟と母の財産は私と主人が管理する。何故判子を押してしまうの自分でも分からないというので仕方のないことだが。使ったお金の明細は3人立ち会いの下説明し理解してもらう。
○弟が、私たちが沖縄に行っていて留守になっていると言うことを知っているのに、何故か「絶対に行きたくない」と言っていた私の家をわざわざ三日の日に探しに来て突き止めたらしい。何しに来たのか理由は言わない。行きたいから探したとのこと。用がないのに無断でウチに来ることを禁止した。今度 一筆書いて貰うことにした。

主人が大怒りしたのである。私が病気時も一度も行きたくない・お見舞いなんかしない、と言っていたのに、留守を知っていて来るのは何事か。来るのか構わないが留守をねらってくるのはおかしい。過ぎたことは仕方ないが、遊びに来たいのならウチがいる時に連絡してから来るのが普通だろうと。留守をねらってくるな、とね。

そう言う話をしているのに、にやにや笑って話を聞いている弟に不気味な物を感じだという。私も同感。怒っているのに笑って話を終わらせようとしている。

○今頼んでいる弁護士さんは引き受けるのが?成年後見人?が条件だったが、なれないことが分かったいま、これ以上のことは頼めない。事実だけをいい、弟を引き連れて、頼んであるローンの精算だけをお願いして後は頼まないことにした。と言うより頼めない事が分かった。それでも断られるのなら仕方がない。財産分与で得たお金で弟自身で生産しい貰うしかない。
○弟の住まいは探してやるが、それ以後の引っ越し、様々な事務手続きは本人にやって貰う。お金の管理・アパートの家賃等は私が責任もって?保証人?としてやるべき事はするが一人分の引っ越しぐらいやって貰わないと困る。
私は医師から重い物を持ったりするのは禁止されているので引っ越しは殆ど手伝えないし・・・・。

それが全部済んだら、理由がない限り顔を合わせる事はしないだろう。電話で済まない用事があるときは仕方ないが、それ以外は家が近いのだから・・・と言う理由での行き来はしないつもりである。

心療内科の医師にはポロくそに言われた。僕は貴方の主治医ではないのだから貴方に話す事は何もない・・・・。そしてとっとと出てくださいと言われた。二度とあの医師にはかからない、こっちから願い下げだ。

長くなりました。癌の話は明日にしましょう。


ではまた次回。

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まず今日は、両方の親の所へお見舞い。おみやげでも買ってきてあげよう。相変わらず元気な二人である。

途中で東北道と交差するのだが、岩槻だというのにもう午前中から渋滞。しばらくゴールデンウィークは高速を使っていない。今年は安いから余計に混むのかしら。運転手は大変ですね。

ウチも明日から旅行、そのために今大掃除しています。ウチは帰ってきた時に綺麗であって欲しいとの想いから、旅行前日は大掃除です。今日はコップ類も漂白。綺麗になりました。その分腰が痛い・・・・。薬と湿布と・・・色々持って行きます。それでは今日はこの辺で・・・・



ではまた次回。

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昨日、iPodの整理を頑張りすぎて、今日は午前中からダウン。これから荷造りです。

テレビを見ていたら道路も新幹線も飛行機も、すごい混みようですね。かえりは五日がピークだとか・・・・覚悟して帰ってきます。

今日は夏のような天気でした。昼間暖かいウチに衣替え、半袖出しました。さすがセーター触るのはもういやですね。


皆さんはどんな連休なのでしょうか。ウチは沖縄は楽しみだけど、旅行代金自体はカード払い。まだ北海道の分も落ちていません。後が怖いです・・・・勢いで申し込むんじゃなかった。今になって反省しています。

余談ですが、今息子が通っているところ、正式名称を「国立職業リハビリテーションセンター」と言いますが、何と去年の12月、息子の入所が決まってから、天皇陛下ご夫妻が視察に来たそうです。

何で今年じゃないの、だったら逢えたのに

と、文句言っている母さんです。県立小児医療センターも退院してからの視察、、幼い頃通っていた○○学園では通っていながら外来通所の子どもは出席禁止。とっても残念です。一度で良いからお会いしたいです。

来年のお正月は皇居に行こうかしらね。




ではまた次回。

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