2010年04月

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今日はがんセンターに薬だけを貰いに行ってきた。それで分かったこと。


今、抗ガン剤の他に骨を強くする点滴もしている。この薬の副作用の一つに、全身あちこちに痛みが出ると言うこと。この点滴をしたときに、必ず処方して貰わなくてはいけない薬があると言うことを私は知らなかったし、そう言う説明も受けていなかった。

今週火曜日、白血球が少なくて抗ガン剤はしなかったが、骨を強くする点滴はうけた。そのときにディケアの看護師が何故か薬の処方話貰わないことを怒っていた。が、私はロキソニンがあるから良いと言って帰ってきてしまった。

しかし今はロキソニンがきかない。なので麻薬であるオキシコンチンとオキノームを飲んでいる。これが〝毎回飲む薬〟である。案の定28日の夜は泣きたくなるほどいたくなり、病院へ行き薬を貰ってきた。このときも、看護師さんが30日には必ず昼間貰いに行きなさいとのこと。

今日行ってやっと分かった。看護師さんは私が「これは貰わないと行けない薬だ」と言うことを知っていると思いこんでいたこと。それが当たり前のことだから。
 でも素人の私には全く説明無く、ロキソニンのように痛いときだけ飲めばいい頓服だと思っていた。だから貰わなくても何の疑問も無かった。

今日〝必ず処方されなくてはいけない薬だ〟と言われて納得した。そして看護師も処方されていなかった事を知らなかった、明らかに私たちのミスだったと謝られた。

でもこれは看護師さんのミスと言うより、やはりY先生がおかしいぞ、と私は思っている。先生に文句を言うつもりもなく、怒っているわけではない。ただ、いつも書いているように今年に入って疲れているようだ。

冗談も通じないし、先日は「あんぱん母さんよりもこんなに酷い患者が待っている」とカルテを指さす。

要するに、私は軽い方だから話す時間は取れ

ないよ、冗談や世間話なんて禁物、早く診察室

からでていきなさいね。


今の私にはそういう風に聞こえた。

私自身今、自分の体の中の癌が、どういう状態か良く解らない。肺と骨にあると言うが、そのときによって言うことがかわるし、これは最近になって出来た癌である。

私が軽い方の癌だとは到底思えないのだが・・・。夜中に行ったとき、看護師さんが当直の医師にY先生からこういわれたらしい、と言うことを伝えてくれた。それを聞いた当直のA先生は「なんて事を言うんだろうね、ノートに書いておきなさい」とY先生を怒っていた。

冗談を言いに来たわけではない、そんなのは分かっている。でも突き放されたようで淋しかった。先生疲れすぎなのでしょうが、患者心を理解しないと、今のままでは本当に味方がいなくなるよ、そう思ってしまった。

余計なお節介だが、Y先生の悪口は患者から良く聞く。長く入院していればいろいろと分かってくるものだ。先生、もっと耳を傾けて、とつい言いたくなる気分である。信頼している先生だからこそ、みんなに嫌われて欲しくないと思っている。




ではまた次回。

このブログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように。


追伸)カウンターが60,000を超えました。有り難いことです。どうぞ、これからもよろしくお願いします
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主治医、まだ迷っています。「僕のところで治療しないか」というA先生、「まだまだこっちでの治療が必要だ」と離さないY先生、違いは外科医と内科医と言うだけで腕も人柄も同様の医師・・・贅沢な事を言う私。ばちが当たりそうですね。

ただ、Y先生にはちょっと言いたいとが残っている。その疑問をこの次聞いてこよう。でも私より酷い人がたくさん待っていると言われると、聞きたいことも聞けなくなってしまいそうだ。最近の先生はおかしい。以前はそんなこと一度も言ったことないのに・・・・。

やはり忙しすぎるのだろうか。私ががんセンターに来たばかりの頃には、一人Y先生の下に付いていた。その先生がY先生の指導の元、独り立ちして半年、元いたという大学病院に戻った。その先生をY先生が引き抜いたそうだが、戻った理由は分からない。

そして去年の4月から女医さんかついた。まだ若くて優しい先生だったが、今年に入って産休と育休を取ってしまった。戻って来るには保育園がネックだそうだ。

ちなみにY先生の奥さんは看護師と言う仕事の為か(夜勤がある)お子さんを保育園に入れられないため退職したそうだ。私が元気なら面倒見てあげられるのに。(ちなみに資格はちゃんと持っています)

その女医さんも腕があり、私のラジオ波はその先生がやってくれた。いつ戻ってくるのだろうか・・・二人分の患者を抱えている先生、私の方が心配してしまうよ。。。。





ではまた次回。

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白血球がたりず、無念の中止となりました。休み中に旅行に行くことを話してあるため、何かあったら危ないという判断です。しかし、白血球が少ないことで風邪などにかかりやすい=それも危ないというとです。発熱は特に注意、休み中何も無いことを祈るのみです。38度以上出たら多分入院でしょう。

癌以外の病気に注意をと言う連休になりました。

骨と肺転移は決定となりました。そこで病院転院と言う話ですが、A先生からのお誘いに、Y先生から〝待った〟がかかりました。A先生の病院に放射線科がないことが理由です。

放射線治療が終わるか、他の治療をするかが決まるまではダメだそうです。と言うことで当分Y先生の元での治療となりました。

はあ・・・・・A先生からは僕のところで治療を・・と言う誘いだったのだけどな。結局はY先生が離してくれない。私ってそんなにもてるのでしょうか・・・・ってそれは私の勘違いかな、エヘヘ。


三日から沖縄に行ってきます、ウンと楽しんで来ましょう。熱が出ませんようにと祈りながら、ね。



ではまた次回。

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割れて指が痛いです。


弟はもうどうしようもありません。私の怪我よりも自分の会社の制服の方が大事だそうです。お見舞いも怒るから行かないんだ、と言います。

頭に来て、これは傷害罪だよ、本来他人なら警察に通報されるよ、と言ったら「ダメ」と幼稚園児のように一言。何故と問い返したら、会社にばれると首になるから困るのだそうです。

貴方はそういうことをしたんだよ、姉だら許されると思ったら大違い、責任を取りなさいと、怒鳴っておきました。ついでに警察には通報してあると・・・・(それはホントです。)しばらくはびくびくしているでしょう。

※尚、警察には名前や住所は言っていません。派出所の前で姉より服と財布が大事だと怒鳴ったので揉めただけ。弟が帰った後警官が来て事情を説明したときに、頭の怪我のことも言っただけで、今後このようなことがあったら民事不介入は関係ないからすぐに呼んでくださいね、と優しく言われただけです。

今私の一番怖い事は弟の顔を見ることだけです。それに怪我したときのことは一切思い出せません。弟か大事にしているシャツを投げ、ついでに一緒に入っていた財布も投げてしまったそうです。主人も言うからそうなんでしょう。

取り合いしているのはかすかに覚えていますが、その後頭にティッシュをあて、手が血で真っ赤になっていること以外何も覚えていない・・・・。それって不安です。
あんぱん父さんです。

母さん今日もどつぼ状態です。
余命一年ショック・・・・リーマンショクと訳の分からない事言ってます。
あんぱん父さんです

あまりの展開で母さん、ぶっ倒れました。
詳しくは父さんのページで・・・・。
今日はこのMRIだけだ。だけど何度やっても慣れないねぇ、閉所恐怖症にとってはね。でも、仕方がないこれがないと進まない。胃カメラと腸の検査よりましだ。

ただ、クーラーがかかって寒い。終わってから寒いと言ったら先生が

「MRIの原理は電子レンジと同じ、だから暑くなって汗かくから涼しくしてあるのだけど」・・・・

えっ、わたしは煮物か初めて知った・・・・・。

明日はCTと精神腫瘍科の先生の診察だ。Y先生との相談もある。ああ忙しい・・・・。



ではまた次回。

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私はさだまさしさんのファンである。デビューした時からだ。

今はiPodで、秋桜や無縁坂、案山子親父の一番長い日・・などを良く聞く。それを聞きながら、親子って何だろうと良く考える。

父さんは、結婚したときから、何があっても両親がそろっていることは幸せだと言っていた。舅は若くして亡くなった。良いい父親だったという。だからだろうが、両親揃っていていも必ずしも幸せだとは限らない。私は幼い頃から親の愛を感じたとがない、と言うと嘘になるだろか。

小学生の頃はそんなことは思わなかったが、物心ついて良く思うようになった。それか一方通行の親の自己満足かなと・・・。お弁当は前日に新聞紙で包んであった。恥ずかしかった。なのでいつしか自分で作るようになった。それは良い結果に繋がったが。例をあげればきりがない。
 
結婚する時も三つ指ついて「今までお世話にになりました」と言いたかった。でも家族から、〝厄介者が一人減る〟オーラには負けてしまった。だからさだまさしさんのの唄が羨ましくて仕方がない。

父は、私を見ればそっぽを向き、口をへの字に曲げて目を合わすことすらしないまま、死んだ。今はあの世で何を思っていることだろう。

母は私のことが全く分からない。覚えて欲しいとは言わない。病気なのだから。でも優しい言葉はかけて欲しい。キツイ言葉はそのままだ。

私にも二人の子がいる。娘が結婚するときはどうかなぁ。息子の嫁さんには、親に感謝してお世話になりましたと言って家を出てくる娘さんが良いな。それにしても親を恨むことなく、二人には幸せになって欲しい。

過去は消せない。今からでも遅くない。子どもたちとは良い親子関係を一生続けていこうとおもう。そうしなければ行けない。



ではまた次回。

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掃除の中で見つかった銀行関係の通帳やお金の整理、やっと終わりました。まだ少しは残っていますが、連絡を待って振り込んで貰うだけです。

詳しい金額はかけませんが、高級車一台現金で返るほど残っていました。それを財産分けし、来年の申告で払うこととなります。それをまた勉強しなくては・・・・。

後は実家を処分することと、弟の作った借金をどうするかだけですが、実家も買い手がいて、手続きは司法書士さんにお願いしよう思っています、借金もとりあえず弁護士さんとの話し合いの日が決まっています。

通院の間にそう言うことがあって、なかなか書けずにいませんでしたが、これで毎日かけるようになるかな


これからの癌の治療法ですが、MRIとCTの結果次第ですが、それを持って、一番最初に手術してくれたA先生の元に戻ることになりそうです。これからの話し合いによりますが、A先生が「誰に気を遣うことはない。あんぱん母さんが一番望む方法を、自分で決めなさい」との一言で決めました。誰がなんと言おうとA先生の所に戻ろうと・・・・。病院が近いと言うのも一つの理由です。それも先生が言ってくれました。

有り難い話です。だからといってがんセンターときれるわけではなく、放射線等の治療はがんセンターに行きます。主治医がY先生からA先生に代わるだけかな。でもY先生にもお世話になることでしょう。

と言うことは、私には主治医が二人可能性があるという事かしら。


本当にこんな話は滅多にあるわけでなく、私がめぐまれているということですね。頑張って治療して、長生きすることが先生への恩返しですね。



ではまた次回。

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先日弟に押された、と書きましたが、実は・・・・。

翌日になって、押し倒されたときの記憶が全く無いことに気が付きました。スリッパは覚えていますが、弟曰く「両手で力一杯押したら、立っていた私が倒れてテレビ台に頭をぶつけた」とのこと。

立っていたかどうかすら覚えていません。気が付いたときには、血だらけのティッシュを左手に持っていた・・・・。悲鳴も上げたこと、私が痛いいたいと言いながら父さんを呼んでくれと言ったこと、父さんが弟に、お前何をしたんだと言ったことも・・・・・・。何があったか数分間の記憶が飛んでいます。


記憶がないと言うこと、実はとっても不安です。たいした怪我でなくて良かったですが、気を失っていたのでしょうか。でもそれでも直前の事は覚えてますよね。

私の場合は押し倒されたこともわからない・・・・・・。先生に今度良く聞いて来ましょう。

抜糸の日が延びてしまいました。今の抗ガン剤は血の止まりが遅いので、一週間だと傷口がまた開いてしまうそうです。


うん怪我をしたことはY先生は知らない。でも今使っている抗ガン剤はA先生は知らない。と言うことは・・・A先生、Y先生に言いつけたか。それたもただ単に治療の為に聞いただけか
どちらにしてもY先生にもばれている。きっと今頃、酒のつまみに私の事を笑いものにしているに違いないついでで良いから、治療の話もしておいてね。



ではまた次回。

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追伸)今日は娘の誕生日です。久しぶりにホールのケーキ(五号ですが)を食べました。来年も美味しく誕生日ケーキが食べられますように
初めての体験です。

そろそろ自分の荷物(工具類など)を取りに行こうと実家にいきました。パンツ姿でねている弟に私に、きちんとした格好でねなさいと怒りました。

自分の家でどんな格好でいようと、自分の好きな姿で良いだろうという弟。それが隣に聞こえたのか、隣の奥さんが来たので事情を話しました。

少し前の話ですが、タンクトップとボクサーパンツで買い物に行く弟を誰かが見ていて、小学校全部にこういう変態がいるから注意をして、というプリントが回っていたそうです。ここまで行くともう私は我慢できません。喧嘩になり、その辺にある物(危なくない手袋とか靴下とか)投げ回してしまいました。

スリッパを履いたりのろのろしていたので、片方のスリッパを捨ててしまったら、そのまま両手で私を押し倒しました。運悪く倒れた先が、テレビの置き台の角。

初めて救急車を呼び、のりました。隊員の方はすごくやさしいんですね。

病院はA先生のいる病院を指定して、処置して貰いました。3針縫ったんですよ。

救急隊員とも話したのですが、怪我がたいした事がないこと家族内のもめ事と言うことで、警察には話さないでおこうと言うことになりました。私の意見を尊重してのことです。それが良いか悪かったかは分かりませんが。

しかし、先生は分かっていたようです。ただ転んだだけでは出来ない傷だというのはすぐ見て分かったようです。でも私は何も言いませんでした。これからどうなるのでしょうね。先生はイラクまで行った敏腕外科医師、ばれるのは時間の問題ですよねぇ・・・。

来週に抜糸、それから本格的な癌治療となります。癌治療の前にA先生のお世話になってしまいました。出迎えてくれたときから、もうからかわれています。通うのは楽しみ、余命が一年とならないよう、先生に頑張って貰いましょ。



ではまた次回。

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今日初めて弟が通っているある病院に一緒に行った。何と四年通っているのに、私は何も知らなかった。何故分かったか言うと、掃除をしていて殆ど飲んでいない薬を見つけたからである。

何というか一言で言えば 「若造」 頭でっかちで、患者の気持ちを全く考えないタイプ。

心療内科の医師と私の主治医の言葉を即座に否定してきた。本当に心理テストを受け、障害者言われたのか、何のどこが障害なのか。貴方はそんな体型(太っていると言うこと)なのに癌で本当に死ぬって言われたのか。等・・・・・・。もう一言あったら、私は素っ裸になって傷跡を見せただろう。何なら見せようか、と言ったら僕は内科だからそんなの関係ないと・・・・。で、何をして欲しいのか、だって。


いや、内科の主治医として、何か出来ることは

、と言ったら無いとの一言、聞きたければ役所

に行けこれでも医者か。


特に私の主治医を馬鹿にすることは許さない。

その足でがんセンターに行ってしまったわ。前の介護施設と言い、呆れていた(看護師が。。。さすが先生にはいえない。)そこで治療の話が出た。

余命が出でも治療できると言うことは、有り難いい話だ。でも、今日は先生は一度もわらわない・・・・。父さん曰く、A先生の所へ行こう・・・。

ずうずうしいね。携帯で、患者ではないのにフルネーム名乗って、フルネームで医師を呼び出すんだから。向こうもビックリしたであろう。まあ当の本人達は知り合いなのだが。

そこで出た話。基本的にA先生のいる病院で治療や抗ガン剤、骨シンチや放射線治療等無い機械だけがんセンターの物を借りる。がんセンターでも他の病院での検査を何度かしたことがある。


元々先生が病院を替わるときに私も連れていくそうだったが、がんセンターでたまたま治験の話があったから紹介しただけだそうだ。そのときの薬も承認され、他にもたくさん使える薬かあるそうだ。そこで自宅にも近い今のAー先生のいる病院通えば体も楽だろうとのこち。確かに電車で一駅、自転車でも行ける。がんセンターの距離の半分以下だ。


取り合えず話し合ってくると言うことで帰ってきたが、体力がだんだんときつくなったときにどれが一番良いか。今はまだ迷っているが、本音は昔から同じ、A先生に看取って欲しいのである。A先生とY先生、大学が同じの旧知の仲。

先生が気を遣うとか、看護師さんに申し訳ないという気持ちは全くかんがえるな、自分の信じる、やって欲しいことを素直に行動しなさいとのこと。

有り難い話です。多分A先生の所に行くことでしょう。



ではまた次回。

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今では弟のことでブログがかけませんでした。

でも不思議と覚悟を決め、墓と仏壇を整理したら、ご先祖様が私たちを褒め、認めてくれたんです。それですっと気持ちが楽になりました。いずれそのいきさつも書いていきますが・・・・・。

問題は癌です。

何と骨に転移の陰があるというのです。これからMRIとCTを受けますが、先生曰く余命一年、来年の桜は見られるか疑問とのこと。

ふざけるなという気持ちです。ただ落ち着いていますけどね。全く元気の私、冗談ではありません。私は母や弟より先に死ぬ気は全くありません。

そんなんで今、頑張っています。死ぬと言うことを今受け入れるわけにはいかない。

皆さんもそんな私に力を貸してくださいね。よろしくお願いします。これからもどんどんブログ書いていきます。ちょっと何を書いているか、自信が無いけど、元気で頑張ることだけは分かってくれますよね。
昨日はすっかり忘れてしまいました。

入所式始まる前の写真です。桜がとっても綺麗でした。この時期に桜が満開なんて・・・・・穏やかで本当に良い日和でした。


    入所式


どうでしょう、初めてのスーツ姿です。気が付いたのが、紺とか、グレーとか一般的な色が全く似合わないこと。茶とグレーが混じったような色で、白い細~い縦縞が入っています。目立ちませんが、左側エリの所にアクセサリーを付けているんですよ。タイピンも可愛いの。最近はスーツも替わりましたね。

値段は張りましたが成人式もありますし、仕立てはしっかりしています。でも今度は安い物にしよう。黒の学生服から大変わりですね。中学はネクタイでしたが、高校はしっかりと学ラン。緊張気味の息子でしたる

病気のことは明日から・・・・・・。書きますね。



ではまた次回。

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追伸) 今日も例のごとくおとなりさんきは親子げんか。原因は良く解らないのですが、娘さんが働くことが出来ずにいるとがもめ事になるらしい。どう見ても何処かに障害があるように見えるのですが、家族して認めず働かないのに家でぶらぶらしてご飯ばかり食べ・・・・・・となるようなのです。

今日は当の本人がやってきて、喧嘩が聞こえるかどうか親と娘が聞きに来て、うるさくないかと・・・・。正直に言いました。うるさいです良く聞こえますと。

そこへ警官が来て家の中で話し合いになりました。息子さんにははっきり言いました。何処かに障害か病気があるはずです。余計なお世話かもしれませんが、病院に行ったらどうか、それと、親子げんかにウチを巻き込まないでくれと。


ウチはそれどころではありません。いい加減にして~
こちらでは今日小・中学校の入学式が多かったようです。中学生も新一年生はまだまだ可愛い物ですね。

心配された桜もどうにかもち、暖かい穏やかな入学式になったようです。そんな息子も明日は入所式、スーツを新着しました。孫にも衣装・・・・店員さんも似合う物を揃えてくれました。さすがですね。


さてさて、三月からはブログを休みがちでした。弟のこともあったのですが、息子の入所を迎え、私の方も大ニュースがあります。

ブログを始める事になった時の想い「生きる証を書いていく」と言うのを思い出し、明日から又本格的に書いていこうと思います。どんなことがあろうとも。

どうぞ今後ともよろしくお願いします。書かない間にいろいろあったので、その隙間を少しずつ書いていこうと思います。



ではまた次回。

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私が元気になるまで待つと言う状況には、ならなくなりました。相続は10ヶ月以内にやらなくてはいけなかったのですね。

昨日銀行に行ったらそう言われました。そこには亡き父の通帳がまだ生きています。それを解約するにはどうしても母の成年後見人にならなくてはいけない。

そこで今日、家裁に電話しました。戸籍・実印関係はすべて揃えてありますが、母の収入・支出の書類は分かりません。収入は通帳で記入されている金額を提示すればいいそうですが、以前入院していたときの費用や薬代の領収書は私では分かりません。

大掃除の時にあった気もするのですが、権利書や現金、通帳、印鑑などそう言う物ばかりに気を取られていて全くありません。多分他の物と捨ててしまったでしょう。

私も結婚して23年、その間に姑の介護、息子の障害色々あって実家のことは疎かになってしまったと言われればそれまでですが、正直家庭を持ち子どもが産まれれば、家族中心の生活になります。

しかしこの数年そうも言っていられなくなりました。幸いに娘と息子の進路も決まり、私も初めて手術の予定のない年を迎え、どうにか動けける様になったところです。

それが・・・・・・。今日の家裁の人、戸籍等は揃えたが、母の支出の部分が良く解らないのでどうしたらいいかと色々話している途中で、「もっと落ち着いてゆっくり話してください、全く話していることが分かりません」を三回、「言い訳はしないで下さい」を二回。

カチンと来ました。言い訳なんかしていません。無いものをどうすればいいのかと聞いただけです。言い訳していると言う意味は何ですか、と聞いてる私に父さんが爆発、いい加減にしろ、と、電話を切ってしまいました。

結局はもう一度電話し、この数年間の私と家庭の事情を説明し、実家まで手が回らなかったこと、母と弟に喧嘩を売られ出入り禁止にされたので様子を見ていたことを話しました。

そして最後には、後見人にならずに上手く出来ればいいが、悩み抜いた上にやっと決心したこと、後見人になると言うことはそれぞれどの家庭にもいろんな事情があること、それを知らずに言い訳するなと簡単に言わないでくれと言いました。父さんには謝ったそうですが、私はやはり許せない・・・・。

書類がそろった上で、そこの家裁にあんぱん夫婦と弟3人で行きますが、これからどうなるのでしょう。弟の後見人(多分補佐と言うことになると思いますが)も手続きをしなくては行けません。私は癌です。難しいようです。でもやらなくてはいけない。

いつになったら自分の事が出来るのでしょうか。来週一週間は息子の入所式と弟のこと、私の受診と休みが全くありません。私は家族四人、貧乏でも良いから幸せに暮らしたいだけなのに、もう夫婦げんかもいつものこと、限界です。
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