2008年12月

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まさか二年続けて手術を待つ大晦日になるとは思っても見なかった。去年は、ストマがなくなる、全部ガンが取れると大喜びだったのだか・・・・。

今年も取れるには取れるのだが、素直に喜べない。それでも「手術が出来ること」は良いことなのだ。来年の大晦日には良いことが書けるよう、一生懸命に生きていこう

頑張るという言葉は嫌だ。これ以上何を頑張ればいいの・・・・・・それはまだガンになっていないとき、介護で大変な時期にみんなと言っていた言葉だ。
 頑張るのではなく、痛いときとは痛いという、辛いときは辛いという・・・・我が儘に好き勝手に言うのではなく、素直に他の人に伝え、それではどうすべきかを考える。そうしようと思っている。

昨日と今日の午前中に最低限の買い物だけは済ませてきた。おせちは作らないが、とにかく明日だけでもお正月気分を味わおうと思っている。さあ、夕方からは準備をしよう。

では皆さん、ガンを退治して、来年また良いご挨拶が出来ますように。

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように。

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一週間前に中学の同窓会の連絡が来た。

詳しい日程と言うよりも、連絡事項を簡略化するためにメルアドを教えて欲しいと言うことだった。とりあえずは来年11月頃に開催、7月頃に詳しいことを連絡するという。

11月かぁ・・・・・・。そんな先のことなんて分からない。アドレスを教えることは別にかまわないのだが、自分がどうなっているか予測がつかないので、連絡することを躊躇していた。 
 一昨年にも同窓会はあったのだが、急用でキャンセルしていた。出来れば出席したいのだが・・・・・。

でもやっぱり、連絡をした。アドレスを教えなくてもハガキで連絡は来るとは思うが、目標があるのと無いのでは生き方も変わって来るだろう。小さな、目先のことでも良い。
 11月には元気な姿で出席してやろう、それが終わったら、また何か目的を見つける。その繰り返しでいいと思った。

でも、限りなくアナログに近い人間、メールを送ったら、エラーが出て送信出来ないという表示が出た。

必死になって自分のアドレスを打ち込んでいろいろと挨拶も書いたのに・・・・そばにいた娘が、何やっているのとのぞき込んだ。

「やってあげるよと」一言。ホンの何秒かで送信してしまった。「これをこうすればよかったのに」と言われてしまった。後から考えたのだが、本文にいちいちアドレス書かなくても相手におくった時点で分かるんだよねぇ・・・・。

その後、iPodを充電しようと思ってパソコンに差し込んだ・・・・・つもりが、どこかでマウスを触ってしまったのだろう、せっかくiPodに入れた曲が全て消えてしまった。これも私一人では出来ない。なので息子に入れてもらった。

このブログも主人に作ってもらった。何時になったらパソコンと携帯、使いこなせるのだろう

ちなみにパソコンはカナ入力である。出来るのは文字を打ち込むことだけである。

さぁ、これから掃除をしよう。少しずつてはあるが主人がやっていてくれた。なので今日はぞうきんがけをするつもりである。

今年も明日が最後、無理しない程度に頑張ろう。

それではまた次回。

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今日は天気が穏やかである。快晴で、風もほとんど無い。日だまりはとても温かく感じられ、早速舅のお墓参りに行ってきた。

 昨日もお隣さんにご先祖は大事にした方が良いよ、と言われたばかりである。

もちろん私は舅にはあったことはないが、私の事を守ってくれていると義姉から聞かされているので、ありがとうと伝えてきた。

実家の方は・・・・。行かなければ言けないのは分かっているが、足が全く向かない。結婚してから、墓石を作り替えたとしばらくしてから聞いたのだが、両親とも私が墓参りをするのが気に入らないようだった。

実家の墓は、父の他に私にとって祖父母、叔父二人、姉が眠っている。父以外は全く知らない。

私は祖母の初七日に産まれた。周りからは生まれ変わりだと言われたとのこと。母にとってはきつい姑だったらしい。なのでそう聞かされてもうれしい話ではなかった。あくまでも母の話だが。

それと、もし姉が生きていたら・・・15分しか生きていなかったらしい・・・・それであれば三人兄弟となり、三人とも年子になる。「そうだったらお母さんは子育て大変だったね」と言ったら、私は産まれなかった人間だと、母から聞かされた。中学生の頃である。

それをガンになってから思い出した。その言葉は今でも忘れられない。母にとっては姉の変わりか・・・・・・。姉が生きていたら、今の私は存在しないことになる。認知症の母に確かめる術はない。もっとも、今更聞いたってどうにかなる訳ではないが。

 父とはもう高校の頃から気が合わなかった。虐待とかそう言うのは全くなかった。両親は両親の価値観でかわいがってはくれたとは思っている。でも私には、それは一方的な押しつけの愛情としか思えなかった。

私が親不孝なのかもしれない。たぶん・・・・・きっと・・・・・わたしが我が儘なだけであろう。いつ実家のお墓参りに行けるのか。そう考えたら少しだけ淋しくなった。

暗い話になってしまったかなぁ・・・。でも、相変わらず元気である。お正月はのんびり過ごし、年明けの手術に万全の体調で望もうと思っている

 三が日の間に初詣には行きたいとは思っているが・・・・・・。こちらは天気次第である。従兄弟の所に行って、次回の入院の保証人もお願いしなくてはいけないしね。

それではまた次回。

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子ども達が冬休みなので、曜日の感覚がなくなっていた。

金曜日に仕事納めをし、最後の病院診察も終え、ホッとしていたのかもしれない。あわてて洗濯物と片付けを終え、姑の施設へと向かった。

本来ならもうお正月、その時期ぐらい外泊して家で過ごせればいいのだろうが、今は私一人のことで家族が精一杯である。面会だけで許してもらおう。また行くからね。

 話は変わるが、さっき用があって、隣家に行ってきた。なんと私のためににお札を用意しているという。「病気平癒」と書き、私の名前を書けば、六日の日に私に替わってごまだきしてくれるというのだ。
 
 宗教が関わる話だから遠慮がちに言ってくれたのだが、お隣さん自身の気持ちだからあなたは気にしないでねって・・・・・。

有り難くそうしてもらうことにした。近所づきあいが薄れてきているこの時代、私は医師や看護師、家族だけでなく、ご近所さんにも恵まれているようだ。

幸せ者だよね

来月の手術を頑張って乗り切らなくては、と、つくづく思った一日だった。落ち込んでなんかいられないね。

姑も実母も認知症だが、まだまだ元気に生きている。その年を越えるまで生きていたいと、つくづく思うようになった。

それではまた次回。

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天気は良いのだが、とっても寒い。

去年の12月はその2/3を病院で過ごしていた。絶対安静、一人部屋で過ごし、退院後もワンボックスの我が家の車に乗れないほど、体力が落ちていた。階段を上るのも一段ずつ上らないと駄目だった。
 なので、このごろの寒さがうんと身にしみる雪が降った時も全て病院にいた。

実はその入院の時に、二度ほどY先生が私のことを「あきらめた」らしい。手の施しようがないと思っていたのこと。白血球がほとんど無く、その為の注射を数回したこと、高熱が三週間以上続いて下がらなかったこと、下がったら全身真っ赤に発疹が出たこと・・・・。どう治療すればいいのか、が分からなかったという。それを最近になって知った。

それに比べれば手術できるのだから、前向きに、と考えなければ行けないのだ。でもやはり落ち込むんだよねぇ

昨日に限って、朝、精神安定剤を飲み忘れた。午前中から集金やら何やら・・・で、どたばたしていた。そんな時に新しいガンが・・・・と言われたのである。
 その事実を受け止めなくてはいけないのだが、つい主人に愚痴を言ってしまう。さすがに昨日は後片付けもしないで寝てしまった。

今朝も主人からの「元気か~」の一言に、つい「落ち込んでいるに決まってるよ~」と答えてしまった。そこからがちょっとねぇ・・・・。片づいていない台所を見て主人が怒り始めてしまった。お互い朝から言い合い。

主人の言うことも分かるのだ。私自身介護でいろいろと苦労していたし、実家のことで迷惑をかけている。自分も辛いのだが、病人がいると大変なのは家族の方かもしれない。家族が文句を言いたくても辛いのは本人なのだから、と、ずいぶんと我慢しているとおもう。

私が入院してからは娘も息子も、ずいぶんと気を使っているのが分かる。家族に感謝している。私も甘えすぎていたのかもしれない。

でも、昨日の先生の言葉は、私にとってはとても重かった。1年先、5年先、10年先、私は今と同じように、年の瀬を迎えられるのだろうか。そればかり考えてしまっていた。

ごめんよ家族のみんな

それではまた次回。

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まずは結論から。

来月26日以降に、入院・手術となった。あくまでも検査結果の上での話だが、手術で全て取り除く事は可能だという。詳しい日程は来年の診察で決まるだろう。

ただ、検査結果は良い物ではなかった。肝臓に4個、リンパにに一つと聞いていたが、ペットの検査で新たに見つかった物が一つあった。CTでは分からない場所だった。

肝臓は5個だった。それと、新しいガンはペット検査した病院では腹膜に見られるという事だったが、がんセンターのS先生の判断は別のリンパの部分だろうとの事であった。去年の同じ検査では陰性だと言われていた場所だ。手術時間は前回の8時間を上回るらしい。大変な手術になると言う。


大腸ガンからではここには転移はしないという。肝臓から来たのか、分かっていたリンパからの転移かどうかも分からない。

はっきり言えば転移の可能性の少ない場所だという。まっ、元々大腸ガン破裂なのだから、変なところに転移していてもおかしい話ではないのだが・・・・・・。

ただ、抗ガン剤を受けていたからこの程度で済んだのだという。もし受けていなかったら大変なことになっていただろうとの事。一番合っている薬を見つけてくれた、Y先生に感謝である。
 それと、「生存率」などという数字では言い表せないそうだ。今回の手術で完治してしまうかもしれないし、そうでないかもしれない。

 よく「5年生存率○%」と言う言葉が使われるが、私にはそれが使えないのだ。特に珍しいガンではないのだが、症例があまりないらしい。

手術で、取ることが出来る、というのはとてもうれしい話だ。でも、やはり先のことを考えると不安になってしまうのは事実である。

でも、いつまでも明るい患者でいたい、元気で、笑ってガンを治してやるぞ・・・それも事実である。今日は先生に夫婦して明るいよね、と笑われた。確かにそうですけどね・・・・・。ショックも受けてるんだけどな。

今日、S先生に昨日書いた「相思相愛」の話を聞いてみた。どうも、S先生は医師がテレビやラジオに出ていろいろ話をするのは嫌いらしい。
医師ならきちんと医師の仕事をしろ、タレントになるなと言うようなことを言っていた。そう言う医師は「まゆつばもの」だよ、と言っていた。

それは分かるんですけどねぇ・・・。私は先生を全面信頼している。ガンを治そうと言う意欲もある。そんな私に、どう思っているか聞きたかったのですけどねぇ・・・。
 内科のY先生のように、「あなたが頑張れなくても、僕が頑張ってあげるよ」とか、「あなたの完治したいという気持ちに答えて、精一杯のことをしてあげるよ」と言う答えが欲しかったなぁ

やはり医師にもいろいろあるのだねぇ・・・・。でもこうやって軽口をたたけるのも私自身マイナスな気持ちよりもプラスの気持ちが上回っている証拠だろう。

前向きに生きていきたい、と、いつも思っている。

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように。
二度目の書き込みすみません。

今、自宅で年賀状の印刷をしています。なかなか会えない中、みんながいろいろと近況報告していますよね。

去年の年賀状に関しては、ガンのことも含め、一切何も書かずに年賀状を出しました。それまでは何かしらコメントは一言だけでも書いていたのですが、書く気にならなくて・・・。

ガン発病して一年五ヶ月、来月手術を控えていても、今は去年に比べて精神的余裕もあり、何か書こうと思っていますか、まさか「がんです」とも書けないし、「元気でいます」とも書きたくない。

明日中にはポストに投函するつもりですが、皆さんはどうしているのでしょう。近い親戚は皆知っているからいいのですが、私がガンであることは、幼稚園に入る前からの親友一人にしか告げていません。

どうしようかなぁ・・・・・。今頃になって悩んでいます。
今日午前中にある女医さんがラジオに出ていた。この人は本も出している。

以前、図書館でこの人の本を借りたとがある。エッセイ集みたいな物だが、いろんな出来事をおもしろおかしく書いていて読みやすい。

その中に、「内科医師と患者は相思相愛の関係でなくてはいけない」と言うような表現がある。もちろん個人的な恋愛を言っているのではない。

この先生なら安心して任せられる、この患者を精一杯頑張って治療してあげよう、と言うことなのだが、それが恋愛感情のように、互いに信頼関係を持たなければいけないと言うことなのらしい。

その話を内科のY先生に話したことがある。ガハハと笑われておしまいだった。「いろんな医者がいるからねぇ」とのこと。
 市民病院でお世話になったA先生にも同じようなことを言ったことがある。いつもは私のことをからかっているくせに、こういうときだけは真面目な返事だった。なんと「私には妻も子どももいますよ」だってさ。

医師としては信頼できるし大好きではある。この医師に手術してもらって良かったと思っている。が・・・。

そんなことは知っていますよ、四人の子どもがいるんだと自分で言っていたではないか。それに、個人的には絶対にお付き合いしたくないタイプだ。こちらも負けずに、私だって主人と子どもがいますよと、言い返してやった。

明日は外科のS先生の診察日である。今年は最後である。S先生にも同じ事を言って見ようと思っている。さあ、どんな返事が来るだろうか。ちょっと楽しみである。

何度も言うが、それでも私は良い医師と看護師に恵まれている。最初の手術の時に、A先生でなければ今頃私は生きていなかっただろう。

今はがんセンターに通っているが、こちらでも同じ事が言えそうだ。Y先生とS先生で良かった。私の方が勝手に「相思相愛」だと思っている。

来年もよろしくお願いします

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように。
12月に入って何かと忙しい。確かに「師走」である。

それも急に手術が決定し、その検査と仕事と・・・・・何かし忘れた。ふと今急に思い出した。どこにもお歳暮を贈っていない。

今からでは手遅れだ 

関係者の皆さんごめんなさい。お年賀でゆるしてね。

 病気の方は、とりあえず、26日までは何も結果が出ない。自覚症状が全くないだけに、体の中でどうなっているかが全く分からず、検査結果が出るまで不安である。
 先日11月分の請求書が出た。委任払いなので少々時間がかかるが、忘れないウチにと、今病院に行って支払ってきた。
 
 ただ、今月に関しては今通っているがんセンターだけでなく、ペット検査を受けたのが別の医療機関なので、委任払いが出来ない。ペットだけで3万かかった。後で高額医療で戻っては来るのだが、それはたぶん3月頃。
 一泊とはいえども入院している。まだその請求書は来ない。今月だけでいくら払うのだろう。ちょっと不安である。それでなくても年末でお金がかかるのにねぇ・・・・。

今日はクリスマスイブである。子どもも大きいので、今更・・・・と言うのもあるが、何かはしたい。と言うことで大きなクリスマスケーキではなく、ショートケーキを四つだけ買ってきた。チキンはなし。

家族よ、許しておくれ

今日は許してばかりだが、一つだけ良いことがあった。

こちらの住まいでは、今日、公立の学校は終業式だ。当然公立高校に通う息子も通信簿をもらってきた。クラスで12番、情報処理科2クラスでは26番だそうである。(76人中)
 ついでに、「専門科目等取得表彰証書」というのをもらってきた。情報処理科と言うとおり、息子は商業高校に通っている。

商業科は女子が多いが、情報処理科は男子のほうが多い。
 商業高に限らず、専門高校に通う生徒は何かしら資格を取らされることか多い。情報処理科に関して言えば、ワープロ検定、簿記検定、情報処理検定・・・・・エクセルとプログラミング・・・などである。

一定基準の資格を取れば、「専門科目等取得表彰証書」と言うのをもらえるのだ。なんと県知事の名前入りである。
 もちろん高校生向けの検定であるが、卒業時までに取れない子も何人かはいるらしい。取れなかったらどうしようと思っていたが、これでホッとした。

娘と息子は同じ高校である。娘は「三種一級」で、表彰されている。これは全く違う名の検定に、一級を三つ合格する言うことである。あまり比較されては・・・と言う思いもあった。同じ先生に教わることも多いので。


そのほかに日商簿記やシスアドを取れば事務室前にどーんと名前がでる。しかし息子は、この証書一つで十分満足である。最低限でも、きちんと資格を取ったという証である。

いろいろとまだ問題を抱えている子だが、ここまで成長するとは10年前には思ってもいなかった。暖かく見守ってくれた小・中の先生、他の生徒と区別無く指導してくれている高校の先生に感謝の一言である。有り難いことだ。

それではまた次回。

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血管造影と肺の検査のため、昨日一番で入院して、無事一泊の入院生活を終えました。退院したのは午前中だったが、何故か疲れ果て、ずっと横になってしまった。

肺は呼吸機能の簡単な検査、すったりはいたりするだけである。

午後2時半頃だったでしょうか。やっと次の検査に呼ばれました。朝食を食べた後は飲食は全て禁止、食べ物は良いのですが、飲めないと言うことは結構大変だぁ。口の中がカラカラになり、話がうまくできない。

診察台に寝てから、まず足の付け根に局部麻酔。もちろん下着は身につけず、T字体のみ。男性医師なので恥ずかしいやら・・・・・・。しかたがない。

「素直な血管」なのだからすぐに終わるはず・・・・・だった。

しかしまず動脈が見つからない。次には検査器具がなかなか入らない。何故だ‼前回も何度か器具を取り替えてやっと始まったっけ・・・・・。

一度目に「素直な血管」と言ったのはどこのどいつだ、全然素直じゃないぞと、ちょっと文句を言ってみた。もちろん心の中でね。

まぁ、一度入れば、後はスムーズに終わったようだ。10分間先生に止血してもらって、足を固定し、ストレッチャーで部屋に戻った。

4時間安静にして動かないでいたら、後は動いて良いという。なんとうれしい話だ。一晩中固定されなくても良いのだ。

固定された物を外すのは主治医である。予定の時間を一時間過ぎてからだが、外してもらえた。尿管も抜いてもらった。

たった5時間、動かず仰向けに寝ていただけで、背中が今でも痛い。こったようである。私は仰向けに寝るというのが苦手なのだ。

 出産の時も2時間は同じように仰向けになったまま、安静にしていなくてはならなかった。そのときは腰が痛くて痛くて、針で刺されているような感じだった。あまりにも我慢が出来ずに、看護師に「少し動いても良いですか」と聞いたところ、「あなたは今、自分が置かれている状況が判断出来ないのですか」と、怒鳴られたことがある。それ以来、背中や腰が痛い程度で看護師には言ってはいけないんだ・・・・・と言う思いが頭のどこかにある。

今日は湿布して寝ることにしよう。

そうそう、入院する前にネットで注文していたCDがさっき届いた。iPodに入れて、今聴きながらパソコンの前にいる。これで来年の手術の準備も万端だ。これを聴きながら歩く練習するつもりだ。

自分に一日早いクリスマスプレゼント、だね

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように。
忘れていた・・・・今日は冬至ではないか。

明日は入浴が出来ないので、絶対にゆず風呂にしようと思っていた。去年はそれどころじゃなかったから、忘れないようにと思っていたのに、思い出したのは今だった。あ~あ、残念でした。

カボチャも忘れた。今うちでは「雪化粧」という品種にこっている。来年は絶対に忘れないようにしよう。

去年の夏から入退院を繰り返しているし、今年は抗ガン剤と再発てで悩まされていた。季節感が少々無くなっているかもしれない。

だからといって毎年きちんとやっているわけではないが、少しだけでも心にゆとりを持って生活していこうと思う。

ではまた。明後日に更新しようと思います。明日の検査、頑張っていこう。荷造りのやっと終わった私でした。
午前中に姑の施設に行ってきた。午前と言うよりもお昼少し前、皆手洗いをしているのに姑の機嫌が悪くて、怒っているという。
 チラッとお煎餅を見せて、面会場所に連れて行った。お煎餅大好きだから、すぐに機嫌が良くなる。昼食になると言うことで、すぐに帰ってきた。時間がないということで、手洗いではなくおしぼりで手を拭くことにした。素直に従っていた・・・・・・。良いところに来たのかなぁ。

そのまま、大手家電店にいった。昨日急に炊飯器が壊れてしまったのである。ご飯は炊けたのだが、スイッチが切れない。保温と炊飯のスイッチ両方がついたままである。
 どうもそこの基盤が壊れたらしい。そう言えば何年間使っていただろう。某電機メーカーが社名が変わると言うことで、安く買うことが出来た。

ちょっとラッキー

去年は洗濯機が壊れ、その前は電気ポット。今、冷蔵庫が危ない。それでなくても仕事が減り、私の医療費もかかる。お願いだからしばらく壊れないでくれ、と、心から願う。


さあ、明日は検査入院だ。血管造影だ。一泊だからすぐに帰ってこられるが、出来れば受けたくはない。三度目だが、何度やっても嫌だ。
 経験したことのある人は分かるだろうが、一晩全く動いてはいけない。右足付け根の動脈から検査するので、足を曲げたり起き上がってはいけないのである。尿管入れなくてはいけないし、腰や背中は痛くなるし、検査よりもそちらが嫌なのである。

検査自体は30分ぐらいかな。幸いに私の動脈は「素直な動脈」らしい。腕の静脈は細くて医師を悩ませるほどだが、動脈に関しては一本ですぐに肝臓の検査が出来るとのこと。だからすぐに終わる。
 人によっては変に枝分かれしていたり、曲がっていたりして大変な方もいるそうだ。

担当の先生はポートの時にもお世話になっている。もう顔を覚えてもらっている。なので安心してお任せできるのだが、とにかくね・・・その後が嫌なのだ。早く終わってほしいと思っている。

23日には退院できる。さっさと退院してしまおう
次回この検査の報告を書こうと思っています。

それではまた次回。

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今日は娘がバイトで早く出かける。頑張って娘が出かける前にしっかり起きた。

朝ご飯を食べ、今日は頑張るぞ、と思った。が・・・・・・。洗濯機にスイッチをいれ、終わるまでちょっと一休み、と思いつつまた寝てしまった。

今日は良い天気だ。しばらくはこの天気が続くという。これから大掃除の時期だ、頑張って動こう。

本来ならおせちの準備もしなくてはいけないのだけど、年末まで通院があるし、年明けには手術も控えている。去年もぎりぎりまで入院していた。

元旦にお雑煮だけは用意するが、後は簡単にすませようと思っている。今はお正月でも営業しているスーパーは多い。今年も楽させてもらおう。手抜き主婦でごめんよ・・・・・。主人からは、いつもの事だと笑われるだろうが。

年越しそばは・・・・たぶん私は食べないだろう。

と言うのも、入院中にうどん・そばの類が全く食べられなくなってしまった。
 毎週金曜日の昼は麺類が出る。元々は大好きだったのだが、病院食は、薄い味付け・ぬるい・のびている・・・・一度食べたら気持ち悪くなり、吐き気止めの点滴を受けたことがある。

 それ以来、どんなにおいしいと思っても、体が受け付けなくなった。においだけで気持ち悪くなってしまう。この一年、食卓にそば・うどんは私がいるときは出ることはなかった。

いつになったら食べられるようになるのかなぁ。


それではまた次回。

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今日はずっと横になっていた。睡眠調整がうまくいかない。

薬を減らすと、夜中に目が覚め、そのまま朝を迎える事が多い。今の量だと、午前中はほとんど動けない。今日は娘が午後からの登校だったので、洗濯物は娘に頼んだ。

睡眠が不十分だというのは本当につらいなぁ・・・・・。他にガンの自覚症状はないし、食事は普通に取れるし、極々普通に生活できるのだけど。

でも、出来るだけ動こうとは思っている。

このままだと太るだけで何も良いことがない。 

と、思いつつ寝てしまうんだよね。明日からがんばらなくては、ね。

そうそう、昨日弟のことを書いたが、一つ書き忘れていた

 私たち夫婦は、今年の10月で結婚21年目を迎えた。その間一回引っ越しをしているが、弟は家の場所を知らない。

なんと一度も我が家に来たことがないのである。両親もだ。

正確に言えば、前に住んでいたアパートでは、娘の初の運動会の時に来たことが一度だけある。そのときは、私が送り迎えをして、ついでに家に寄っただけ。

今の住まいは学校を転校させなうようにと、学区内で引っ越しをした。実家からは電車で二駅、我が家は駅から徒歩数分の距離である。もちろん住所と地図は両親が元気なときにきちんと渡してある。

なのに場所が分からないから行けないという。近くには銀行や大きな公園など目立つ場所もあるのだが・・・・。分からなければ人に聞けと言ったら、そう言うのを聞いたことか無いから、何を聞けばいいのかが分からないと言う。

・・・・・・・本当になんと言えばいいのか、はっきり言ってしまえば、

馬鹿なのである。

姉にそこまで言わせる弟とは一体どんな人間なのだろう。同じ親からうまれ、同じ環境で育ってきたのにね。
 本当はこんな事は書きたくない、二人で互いに協力してうまく出来ないか、仲良くやっていきたいのだ。
 一時は同居して、それぞれの負担を軽くして上手く共同生活できるよう考えたのだ。大人三人がいればどうにかやっていけるのではないか。それさえも拒否された。
 
まぁ、もういい年をした弟のことを、文句ばかり言っても仕方が無い。もう弟のことは書かないことにしよう。今は、私自身出来ることを精一杯やるだけだ。

それではまた次回。

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今の時点で、来月19日頃に入院することはほぼ決まっている。検査結果次第であるが、その週の中頃に手術となるだろう。

そのことはまだ弟には話していない。話したところで今の現状が変わるわけではないし、見舞いにも来ないと思うから、伝えないつもりではある。

そう分かっていても・・・・・淋しさ、空しさ・・・・言いようのない気持ちになる。

先日やっと連絡が取れた。まだ手術が決定する前のことである。再発したときにも主人が一度連絡を取っているが、見舞いの一言もない。
 私自身とは何年ぶりかの会話になるが、ガンの話は一言も出ない。別に何かをしてほしいわけではない。私の体を気遣う一言がほしいだけだ。

今通っているがんセンターと、弟の勤め先は目と鼻の先。歩いてでも行ける距離にある。入院時の保証人を頼んでいるいとこも近い。

一度ぐらいは見舞いに来てほしいと私は言った。なんとその返事がどこに入院しているか知らないという。冗談じゃない。主人が伝えている。

ガンの治療をする病院は県内にもたくさんあるが、がんセンターと名のつくところは一カ所のみである。分からないはずがない。

もう話す気にもならなかった。最後に、来年娘が成人式だという事だけは伝えた。もう写真は撮ってある。そのときにポストカードを10枚サービスでいただいた。
 認知症であっても私の母にとっては初孫である。分からなくても良いから、娘の晴れ姿だけは見てもらいたいので、一枚おくるからねと言ったところ、ちょっと間があって言った言葉が「いらない」の一言だけだった。

別にお祝いの品をほしいと言っているのではない。ただ、「おめでとう」の言葉がほしいだけ、母親に写真を見てほしいだけ、ただそれだけなのに。

ふざけるなと主人が後ろで怒鳴っていた・・・・・・。

他人だけではなく、身内ともつき合いの出来ない人間なのだ。そう思うことにした。

私が死んでも弟だけには伝えるな、と主人に言った。主人は大笑いして、あいつより先に死ぬのか?おまえはあと40年生きるんだろう、頑張って病気を治して長生きしろ、と言われた。それもそうである。

弟とのつき合いにはまだまだ悩まされそうだが、長生きすることだけを今は考えよう。

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように。
今日は午前中からしとしとと雨が降っています

そんな中、ペットの検査に行ってきました。今通っているがんセンターにはこの設備がありません。県内にあるのは2カ所だけ。そのウチの近い方を紹介してもらいました。

去年も行った所です。以前にも書いたように私は狭い場所が苦手です。MRI検査は一度もしたことがありません。
 去年は検査をする前に機械に入る「練習」をしたほどです。なんとカルテにそのことが書いてあったそうで、ちょっとびっくりでした。

しかし今日は二度目だし、これが終わらない限り先に進めません。何とか無事に検査をすることが出来ました。検査技師さんからも無事終わって良かったですねって優しく声を掛けてもらって、ちょっぴりうれしい私でした。

看護師さんからは「明るくて良いわね。こちらの方が元気をもらえそうだわ」と言われました。

そんなに私って明るいかなぁ。一応ガン患者なんですけどね。でもそう言ってもらえることはすごくうれしい

 「笑う事」って体の免疫力を上げるらしいですね。
 私の場合、無理して明るく振る舞っているわけではない。前向きに生きていきたい、今できることを精一杯やりたいだけのこと。

今日の結果が良いことを願うばかりです。

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように。


天気が良いと気分も良くなる私、今日もせっせと洗濯日和

これから大掃除の時期、天気の良いときに洗える物はどんどん洗わなくては・・・・ね。

昨日は眠剤を早めに飲んでみた。
 布団に入る2時間前に飲むと決めた。二階に上がるときはちょっとふらふらしたけど、そのおかげですぐ眠れたし、寝起きも今までよりは楽になったような気がする。

ただ、やはり気分の浮き沈みはある。薬が合わないようなら、今度外科の再診の時に相談しても良いよ、と、昨日看護師に言われたので、とにかく来週までは様子を見ることにしよう。

内科外来の看護師さんとはもう何でも言えるようになった。どこであっても声を掛けてくれる。病棟もそうだが、外来の看護師さんもいい人達ばかりだ。話しているだけで元気をもらえる。有り難いねぇ

先ほど、ひさしぶりに自転車で買い物に行った。夕暮れ時のせいもあるだろうが、視力が落ちてきたなぁ・・・・としみじみ感じた。先方で誰かが手を振っている。が、本当にそばに来るまで誰だか分からなかった。

年のせいだろうか・・・・。三年後に免許書き換えである。その頃には眼鏡作らないと駄目かもしれない。

もちろんそれまでにガンの完治を目指している。

絶対に治してみせるぞ

と、毎日思うことにしている。

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように。


こちらの地方は快晴、たまっていた洗濯物を全て干せた。良い気分

今日は本来は診察日ではないのだが、薬をもらいに病院に行ってきた。眠剤と精神安定剤、明日でなくなってしまう。来週外科の外来があるのだが、とにかく睡眠が思うようにいかない。

昨日も寝付けたのは薬を飲んで2時間もたってからだった。先日飲まなかったらどうなるのか試しにやってみた。
 その結果は・・・・・・ほとんど寝られなかったのである。明け方少し寝られた。起きたのは朝9時

とてもじゃないが、来週まで待てない。とりあえず内科の外来に話をしておいた。病院についたらもう処方箋は出来ていた。先生の診察はしなくても良いそうだ。

舞の海に似たY先生の顔を見るとホッとするのだけどなぁ。ちょっと残念である

そうそう、昨日血液型の話を書いた。

先日CTを受けたときのことである。隣に座っている男性が声を掛けてきた。話し好きのおじさんのようだ・・・・・。私がB型だというのを知ると言ったことが

B型でもガンになるんだ・・・・A型の人ばかりガンになると思って

いたよ


悪かったわねどうせ私は神経質ではありません。脳天気なB型ですよ。そんな私がガンになって何か文句でもある

と、心の中で文句言ってやった。もちろん顔は笑顔で、ね。絶対に完治してやるぞ。

・・・・・・・・・私って、負けず嫌いだろうか。

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように 。
今年1月に手術をして以来、体重がガン発病前に戻りつつある。体型からは絶対重病人には見えないだろう。何せ超音波検査が駄目なぐらいだから。

今日も恒例の姑に面会に行く日である。姑の部屋は、一階の認知棟。

 それも二つのフロアに別れ、奥の方である。手前の鍵は面会人でも自由に開けられるし、出るときも決められた数字を入力すれば開けられる。
 が、姑のフロアは施設の人に頼まないと開けてもらえない。そこに行くまでのフロアにも何人かの入所者がいる。

その中の一人は、いつも決まって「ご飯、ご飯」という。だが、今日に限って違っていた。私たち夫婦二人が通り抜けようとしたら・・・・・

「ご飯が来た、あのおばあちゃん太っているねぇ」

私たちは大笑いしてしまった。確かに太っているが、私はまだ40代である。でもあなたから見ておばあちゃんには見えないだろう。私はあなたにとって、娘と言ってもおかしくないわよ。

それにさぁ、確かに太っているけどさ・・・・。他人から言われればやはり嫌だよね。やっぱり頑張ってやせなければ、と、心から誓った日である。

施設の人からは謝られた。悪気で言っててるんじゃないんです。ごめんなさいねって・・・・・。そりゃ分かってるぞ、認知棟にいる人だからね。私の母も叔母も、姑本人も認知症である。私自身は別に何言われても気にしないが、フォローにはなっていないぞ!

そう言えば・・・・。前回の外科のS先生の診察の時。

夏にガンが再発したときに、ウンと落ち込んでY先生の前で二度大泣きしたことは言ってあった。そのときに、人間っていつまでも落ち込んでいられない、いずれ元気が出てくる力を持っている物だ、と言われた。

なので、やっと元通りの「明るいガン患者」に戻れました、元気になれました、と報告した。

その返事が・・・・・・

「あなたは元々明るいガン患者ですよ」

と、あっさり言われた。私だって、私だって・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

気にする言葉や傷つく言葉、落ち込む事ってあるんですが今度入院したときに、思いっきり泣いてS先生を困らせてみようかな。

これだからB型は嫌いだ。S先生もY先生もB型。あっ、私も典型的なB型だ。まっ、人間4種類の血液型で性格が決まるわけではありませんが。

余談ですが、このS先生に言わせれば、A型はB型を見下ろすという。S先生の奥さんはA型だそうだ。と言うことは、家の中で奥さんの方が上だということか?

T大医学部卒業のエリート医師を見下ろす奥さんって、どんな方だろう。少々興味がある。

ちなみにウチは旦那がA型である。

 ただし、私がガンになったときに、恥ずかしい姿をAB型の娘にしっかり見られている。何かあるたびに、その恥ずかしい姿というのを、娘と話している。なので、私は旦那から見下ろされてはいない、と思っている。

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように 。
娘はバイト中、旦那は仕事先、息子は期末テスト期間中で2階で勉強中。

テレビもあまり観たくないし、本も娘から「相棒シーズン3下巻」を借りているのだが、なかなかすすまない。娘は大学で学生会に入っている。学校の行事を手伝ったりすると図書カードをもらえる。本好きな娘はすぐに新刊を買ってくるのだ。

「相棒」だけは欠かさずテレビを観ているのだが、本は読めない。文字を読んでいると辛くなる。

睡眠も上手く取れないため、午前中は横になりながらiPodを聞いていたのだが、イヤホンが合わないのか耳が痛くなってくる。

と言うわけで・・・・・

暇である

来週中には眠剤も精神安定剤もなくなる。暇なのは良いが、少々イライラ感もあるので、薬だけでももらいに行ってこようと思う。

そうそう、昨日書いたとおり、家族三人の予防接種に行ってきた。7時半過ぎだというのに混んでいる。インフルエンザも流行しているらしい。ずいぶん待たされた。私はうつると行けないので呼ばれるまで外で待っていた。

内科の医師ではなく整形外科の先生に注射された。金曜日の午後だけ手伝いに来ている先生なのだが、その先生の勤め先は本来市民病院。
と言うことで、主人も私もよく知っている先生だった。終わって帰ろうとしたときに私は「A先生とは会っていらっしゃるのですか」と尋ねた。

以前書いたように、市民病院に入院していた時の私の主治医A先生は、今は違う病院に勤めている。

答えは「あってない‼」の一言だけだった。これ以上聞くな!と言うオーラがあった・・・・・・。

確かにA先生は一匹狼みたいな雰囲気のある医師である。でも、この先生の言い方はとても冷たかった。何があったのだろう・・・・・・・入院中はA先生にもこの先生にもずいぶんお世話になった。

帰りはなんか淋しくなってきた。聞いてはいけないことを質問したのかな。私には関係ないことではあるのは事実。

今少し落ち込んでいる。はぁ・・・・・・。でも元気出さねばね。先のことを考えよう。

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように
今、自分のブログを開けてみたら、カウンターが1,000になっていた


皆さん、覗いてくれてありがとう。なんかうれしくなって、二度目の書き込みをしてしまいました。
今後とも末永くお付き合いお願いします。
今日、夕飯を食べた後、インフルエンザの予防接種に行ってくる。もちろん予約済み。

 かかりつけ医が、毎週火曜と金曜日は診察が9時までである。勤めをしている人や学生には大助かりだ。
 もちろん体調が悪くて休む場合は関係ないが、薬だけほしい人だとか、休むほどじゃないが念のために医者に診てもらおうか・・・・・と言う人にとっては有り難いことだ。

私はどうしようか悩んだ。内科のY先生には聞いたのだが、受けても問題ないと思うけどねぇ、今のところ大変な事になった言う話は聞いていないが、個人差があるからね、とのこと。

と言うことで、私は予防接種は受けないことにした。家族三人に受けてもらう。一人3,500円。任意だからかかるのよね三人合わせて10,500円也。今日の売り上げ分が、全て予防接種に回った。

まあ仕方がない。私が高熱出してしまったら、元も子もない。すぐに入院だろう。それを考えれば安い話だ。

高熱と言えば、7月初めにポートを入れてから一度も熱が出ていない。今までは体が〝異物〟として受け付けず、二度も高熱が出ていたのにね。まぁ、出ない方が良いに決まってはいるけど。



手術に向けて抗ガン剤治療は今中止になっている。毎朝血液をさらさらにするためにバファリンを飲んでいた。それと一緒に精神安定剤と睡眠導入剤も飲んでいたが、バファリンが血管造影剤検査をするのに飲んでてはいけない薬とのことで、すべての薬を試しにやめてみた。

夜、なかなか寝付けなくなってしまった。うとうとするが、すぐに目が覚めてしまう。今睡眠不足・・・・今日から睡眠導入剤だけは飲んでみようと思っている。

それではまた次回。

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来年の手術に備え、今いろいろと準備をしている。

荷物に関しては、二度の緊急入院を経験しているので、最低限の荷物は旅行ハッグに入れっぱなしになっている。足りない物があったら病院の売店で買えばいい程度になっている。

で、何を買ってしまったかというと・・・・・。iPodである

病院には一人に一台ずつテレビが用意されてあるし・・・・・テレビカードは必要だが・・・・談話室には様々なジャンルの本が置いてある。本好きな私にはたまらないほど、だ。

しかし、夏に再発を宣告されてから、本がほとんど読めなくなった。文字を読むのが辛い。新聞も同様。何故だか分からない。テレビもあまり見なくなった。

唯一見ている番組が、浜ちゃんのジャンクスポーツ、クイズヘキサゴン、そして相棒。唯一じゃないね、唯三だね

12月24日に相棒のドラマの中で使われたクラッシックのCDが発売される。それを聞きながら入院生活を送ろうと思っている。少々楽しみだ。
手術二日目から歩かなくてはいけない。iPodに入れた音楽を聴きながら歩くつもりである。良い気晴らしになるだろう、と思っている。

しかし、私にはiPodに音楽を入れることは出来ないので、息子にやってもらう。今もうすでに何曲か入れてもらった。娘と息子が結構CDを持っているのて少し借りた。これで準備万端である。

ただ、気持ちのほうがね・・・・・・いきなりの手術決定でまだ受け入れられていない。今度は三度目である。
 いや、いつかは手術になるだろうとは思っていた。ガンの出来た場所が動脈のそばなので、ラジオ波は無理、と、S先生には言われた。ただ、前回の診察で決定してしまうとは思っていなかったのである。

以前に手術するなら一回目の主治医であるA先生にしてほしい・・・・・と言うのを書いた。今、またその気持ちが強くなっている。

S先生を信頼していないわけではない。とっても良い先生である。命を預けるのに、安心してお願いしますと言える先生である。

「私のわがまま」なのは重々承知している。何故そう思ってしまうのかが自分でも不思議である

でも、やはりS先生にお願いするしかないのだ。こんな風に思ってしまって、ごめんね、S先生・・・・・。頼りにしているからね。

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように。
去年、一回目の大腸ガンの手術をした頃の話である。

音信不通になっていた主人の姉の所に私のことを報告したそうだ。元々音信不通になった原因は姑にある。姉弟の仲は悪くない。

義姉は、幽霊か見えるという。その姉の元に昔亡くなった父親が出てきたそうだ。そして一つ言ったことが・・・・

本当は私たち家族にはもっとひどいことか起る筈だったそうだ。それを精一杯守ろうとしたが、力が足りなくて私がガンになったしまった。これ以上ひどいことは起らないから、安心して良い。俺がいつまでも見守っている・・・・・・

とのこと。それと仏壇の掃除は毎日してほしいとのこと。姉に埃がたまっているでょ、と言われた。事実である。

それと時を同じくして、主人が家の中で、ハルちゃんという小さな女の子が見えたという。主人にとっては座敷童に思えたそうだ。

私には生きている人間だけではなく、会ったことのない舅にも守ってもらっているようだ。有り難い話であるそのためにも、前向きに生きて行かなくては、と思う。

それから仏壇の掃除やお供え物、ハルちゃんのお菓子をいつも欠かしてはいない。ありがとう、お義父さん

それにしても大変なこととはどんなことだったのだろうか。一つだけ思い当たることはある。

それは長野に行く直前。車の後ろのタイヤ一本すべてのボルトがゆるんでいた。5個、手で回せるほどである。
それに気がつかないで高速を走っていたら大事故になっていたはずだ。その少し前にトラックのタイヤが外れて死亡事故があった。

そのことだったのかもしれない、自分たちだけでなく周りを巻き込む可能性があったし・・・・。


それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように。


今日は病院に診察に行った。

一応予定では・・・・・採血と尿検査、CT、外科S先生の再診、内科Y先生の診察と抗ガン剤投与であった。

外科の再診は、ラジオ波治療が無理なので、今後どうするかを決める物だと思っていた。先々週急に入れた予約である。

まさか今日手術が決定するとは思っても見なかった。S先生には手術はいやですと言ったら、それなら何のために来たのと笑われた。確かに外科の診察を受けると言うことは手術が前提である。

CTの結果は出ていた。大きくはなっていないが、小さくもなっていない。リンパ節もガンの兆候が・・・・。

 ただ、抗ガン剤を続けていっても必ず小さくなるわけではない。いずれ効かなくなることも多いそうだ。今効いているウチに手術をする方が成功率が高いという。

確かに今なら食欲もあるし、自覚症状も全くない。ごくごく普通に元気に生活をすることが出来るし、体力も持ちそうだ。。

手術をすることに同意した。年内中に、ペット検査と血管造影剤検査の予約を入れた。そして今日の抗ガン剤治療は中止。抗ガン剤をやめてから手術をするのに一ヶ月半は日にちを空けないといけないらしい。

内科のY先生との診察はしてもらえたが、手術をするという確認だけで済んだ。今日からしばらくの間は外科のS先生が主治医となる。
Y先生に、しばらく会えなくなってしまいますねと言ったら大笑いされた。

抗ガン剤治療に関しては、手術を終えてからまた考えるとのことである。

年末の26日にまたS先生の診察がある。そのときに詳しいことを決めるという。予定では1月の半ばと言われている。今日はとりあえず予定外の検査であるレントゲンと心電図を受けてきた。

1月12日に、娘の成人式を迎える。手術はその後になるらしい。娘の晴れ姿だけはどうしてもみたい。写真はもう撮ってあるので振り袖姿は見てはいるが、やはり成人式という大事な日はまた違う物である。

ただね・・・・式後は中学の同窓会だそうだ。家族でのお祝いは別の日になることだろう。ゆっくりと娘のお祝いをしてから、手術に望みたい。完治をめざして、ね。

今回は胃カメラと大腸の内視鏡検査はしなくても良いとのこと、助かった

それではまた次回。

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市民病院に入院していたときのことです。

手術後二人部屋に入っていたのですが、一週間ぐらいでもう一人の方か退院しました。それから何となく情緒不安定になりました。夜、何をしてもねられない。

ついにはナースステーションの隣の部屋に移されて、精神安定剤の点滴を打つことに・・・・。2本うってもイライラが止まらない。看護師さんがそばにいていろいろと話しかけてもらっても、リラックス出来ればと、音楽をかけてもらっても全然駄目。その夜はほとんど寝られませんでした。

次の日は鬱状態になり昼間はずっとナースステーションにいました。夕方になり部屋に戻ったのですが・・・・・・・。

なんと、お経を唱える複数の男性の声か聞こえる。

看護師さんも私の状態がなんか心配に思ったのでしょうねぇ。次の日から夜だけ旦那が隣のベッドに泊まっても良い事になりました。もちろん費用は要りませんと・・・・。

そしたら・・・・・・主人も何となくおかしくなったしまった。主人曰く

幽霊がいる。黒い影が部屋の中でうろうろしている

それに加えて、部屋からトイレまで一本の光が通っており、そこを通るともやもやした気分にになるそうだ。

一人きりになってからは、大部屋に行きたいと師長さんには伝えていた。もう我慢できない。

主人が二晩泊まったあと、その日の昼間にやっと大部屋に空きが出来、うつることが出来た。こちらの部屋は6人部屋。壁紙など、二人部屋と全く変わらないのにこちらの部屋はやけに明るい。

大部屋に来てからはお経の声は全く聞こえなくなった。主人も二人部屋にいるときとは全然気分が違う、こっちなら変な気持ちにならないという。

それを知り合いに話した。二人部屋は角部屋である。そう言う部屋には幽霊が出やすいという。と言うことは、夫婦同時に見たという事なのか・・・・。

別の知り合いの人も、お子さんが同じ病院の小児病棟に入院していたことがある。その人も幽霊を見たそうだ。

来年3月までに市民病院は別の所に移転する。同じ市内だが、自宅からは正反対の場所になる。当時の主治医のA先生も今は違う病院に勤めている。ちなみにその病院は我が家からはちかい。

もう市民病院に行くとこはないと思う。というか、行きたくはないなぁ・・・

関係者の皆様、ごめんなさいね。去年の事なので、時効の話とおもってください。 

結構気が弱い私でした。本当に怖かったです。

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように。
毎週日曜日は、姑に会いに施設に行く。大好きなおせんべいをもって・・・・ね。

同居していたときは互いに鬼のように思っていた。が、今では互いに笑顔で接することが出来る。人間関係って不思議である。
 今日は介護認定の更新の連絡が役所から来たので、手続きを施設の職員にお願いした。その施設では職員の中にそう言う資格を持っている人がいる。施設長は医師である。

私もまだまだ闘病中の身、変わって手続きをしてもらえることに感謝。

昨日は本来なら息子の高校の役員会があった。昨日からPTAの仕事を再開する予定だったが、修学旅行中の息子の話を聞いて、情緒不安定になってしまい、直前でキャンセル。今日も何となく気持ちがもやもやしている。
 明後日は診察日、このまま変わらないようだったら精神安定剤を変えてもらおうと思っている。

余談だが・・・・。

今日施設で某新聞社の朝刊を読んでいたら、がんセンターの先生のインタビュー記事が載っていた。消化器外科のN先生である。大腸ガン専門の医師だ。
 この先生は、医者が選ぶ名医を紹介する本にも載った人である。

私が前回がんセンターで肝臓ガン摘出手術をしたとき、ついでに大腸をつなげストマを外す手術も一緒にしたことは以前書いた。
肝臓ガンだけでも長い時間がかかるそうだ。胆嚢も一緒に取ると言われていたし・・・・・実際8時間かかっている。

主治医のS先生の体力が持たないようなら、「大腸とストマは僕がやるからね」と、そのN先生から言われていた。

 実際はS先生がすべてやってくれたのだが、改めてこのN先生がすごい医師なのだと思った今日である。

病院内の立場はS先生の方が上だけど・・・・・。どちらも超有名なT大学医学部出身である。エリートなのに全然エリートと感じない優しくて良い先生たちだ。

大腸ガンの手術自体は市民病院のA先生だったが、初めからがんセンターに来ていたら確実にこのN先生に手術されただろう。

ただ・・・・・・・・・・・・。私はこのN先生が何故だか大の苦手である。理由はさっぱり分からない。何でだろうと自分でも思う。

市民病院で良かったなぁ。ハハハ、N先生、ごめんなさい♡♥♡

ちなみに市民病院のA先生と、今の主治医Y先生はB医科大学出身である。先日テレビでも紹介されていたが、すごい大学だ。競争率も偏差値もものすごく高い。
でも、親しみやすい良い先生である。


これ以上書くと、A先生に個人情報漏洩だよと叱られそうだから・・・・・人からいろいろ言われるのは大嫌いらしい・・・・ここまでにしておこう。


でも、良い先生に囲まれている私は、幸せ者だね。

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように。
無事息子が帰って来ました。とっても楽しかったようです。おみやげもたくさん買ってきました。

ただ問題が一つ。入学してから少々いじめを受けていました。前回書いたとおり、ボーダー児、情緒障害と言われた過去を持つ息子です。担任にはそれは伝えています。

なんと一日体験学習(七つのコースから一つを選ぶ)で、そのいじめを受けていた子と一緒になってしまったそうです。グラスボートという、船底が一部ガラスになっていて海の中の様子を見られるという物です。

一緒の船に乗ることとなり、パニックになってしまったらしい。前日先生と相談している間に、なんと明日のことを考えすぎたため、その場で吐いてしまったとのこと。特例として別のコースに変えてもらったそうです。

先生曰く、将来大人になっても必ず苦手な人・嫌な人・意地悪をする人はどこにでもいる、だから我慢も必要、次からは何があっても特例は認めないよ、と言われたらしい・・・・。

正論です。間違ってはいません。でも息子の気持ちは痛いほど分かります。今日の某新聞の記事でも、パワハラを受けそれが原因で病気になってしまい、休業保障をもらった、と言うことが載っていました。

私も介護が原因で、未だに弟との関係は最悪のままです。これから、親として息子にどうしてあげたらいいか、何を言ってあげればいいか、考えさせられた一日でした。


でも、今の時期、どこもイルミネーションで綺麗ですねぇ。羽田空港は青を基調としたツリーがあちこちに飾られていました。
 モノレールの中からはライトアップされたレインボーブリッジ、電車の中からは東京タワーが良く見えました。

去年の今頃はまだ病院の中。自分の目でこういった景色を見られることに感謝です。早く完治と言われるよう、これからも病気と向き合いながら生きていきたい・・・・・。

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように・・・。
ガンの話は、今日は一休み。

今日の夕方に、息子が修学旅行から帰ってくる。時間にあわせて羽田空港まで迎えに行き、大学生の娘とも待ち合わせして、ひさしぶりの外食を予定している。私にとっても気分転換となる。

この息子、今高二だが、小学校に入学するまで保育園に在籍しながら、月二回ほど療育センターに通っていた。小・中学校は普通学級に在籍し、小4までは市内にある療育施設に月一回通っていた。

知的障害は全くない、いわゆるボーダー児と呼ばれる子どもだった。中学進学の時は心配たったが、
子どもの成長ってたくましい物がある。

今でも人間関係やコミニュケーションの取り方が苦手だが、問題なく高校生活を楽しんでいる。が、やはり、初めての場所や初めて経験することは苦手のままである。

高校は娘と同じ高校である。何度か連れて行ったこともあり、入学時には一人で通えるようになっていたが、都内には滅多に一人で行ったとはない。

と言うことで、私の気分転換も含めて羽田まで行くこととした。行きは友達と待ち合わせていたので私の出番はなかった。朝が早かったから助かった。

私が手術したのは去年、娘が大学一年、息子が高校一年だった。入学してからの発病で助かったぞ、と言うのが本音である。

娘は、指定校推薦で高三の11月には早々と合格が決まっていた。問題は息子である。第一志望は娘の通っている高校だ。公立なので下手すると3月上旬まで合否が分からない。
 前期入試は見事に落ちた。後期試験に期待するしかない。
 
 何せ娘が三年通っている。落ちたらと思うと・・・・・ね。訳あって私立は受けていないから大変なことになる。
その後期試験の合格発表の日。どきどきしながら高校に向かった。主人と本人、そして私、車で行ったのだが、つくまでの車の中・・・・・・無言だった。

暗い気持ちで掲示板を見た。なんと、息子の受験番号があるではないか。親子3人で抱き合って喜んだ。

私の発病が一年前でなくて良かった。体験入学や学校説明会など複数行かなくはならない。二人が受験である。主人一人ではとてもやりきれなかっただろう。

息子の成績も中の上にはいる。娘も大学のランクを一つ下げたので、成績優良者にはいっているらしい・・・・。おかげで学費減免が出来る。奨学金とバイトでどうにか学費の方は問題はない。

何せ私が治療費かかる物でねぇ・・・・・。子ども達よ、感謝している。

息子が帰ってきたら、修学旅行の話でうるさいだろう。でもそれも楽しみである。

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように・・・。
今日は主人がタイヤをスタッドレスに変えている。明日から天気が悪くなるらしい。そろそろノーマルタイヤも減り始めている。
 こちらの地域では12月中に雪が降る事なんて滅多にないが、去年は私の入院騒ぎで取り替える余裕がなかったという。入院中に三度の雪が降ったが、病院の入り口が坂になっていて怖かったらしい。
 雨が降って凍結でもしたら危ないと言うことで早めの取替えとなった。

今週は抗ガン剤の治療もなく、来週までわたしはひまである。ただ、睡眠剤の量の調節がなかなかうまくいかなくて、午前中まで眠くて仕方がない。減らすと真夜中に目が覚めて逆に寝付けなくなる。今も、だるいような眠いような・・・・・。でもそんなことを言っていられない。これから少し散歩にでも行って見ようと思っている。

暇なので過去の記事を読んでいた。一つだけ書き忘れていた。

障害者手帳の事である。以前四級の障害者になったことは書いたが、ストマが取れたのでもう障害者ではなくなった。
その手帳を役所に返還しなければならないが、病院から何か書類が必要だと困ると思い、入院中に主人に何が必要なのか聞いておいて、と頼んだ。

なんとその次の日、もう返してきたよ、と言う。何の書類もいらないそうだ。窓口で担当者に渡すだけで終わったという。電話で問い合わせしたと思っていたので、なんでこんな早くに?と聞いたら、なんと前日帰宅するときにそのまま役所によったらしい。

ストマの道具を購入するのは、現在のがんセンターではなく、以前入院していた市民病院である。そこにも事情を説明した。
 退院してからでも良かったのに、と担当者から言われた。年末に少し多めに購入していたため、6,000円ほど支払わなくてはいけない。二月に手続きをすれば払わなくて済んだそうだ。でも、障害者手帳返すと言うことが、私よりも主人の方がうれしかったらしい。大喜びで返したそうだ。あたり前の話である。お金の問題ではない。

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように・・・。



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