緊急入院と肝臓手術決定

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手術後の経過は順調だった。

術後の次の日に、S先生から、鼻からの管、どうしようかな、と言われた。私は二つ返事で抜いてほしいと言ったら「それではリクエストにお答えして、抜きましょうね」と、のんびりした口調で言われた。相変わらずホッとさせてくれる話し方である。

そしてそのまま、一人部屋への移動となった。一人部屋に一日だけいて、大部屋へうつされた。順調に快復している証拠なのだろう。でも、あまりその頃の記憶がない。

大部屋移動と共に尿管のみ外された。と言うことは、トイレには自力で行かなければならない事である。

そうだ・・・・もう二日たってしまったのだ。背中に痛み止めの薬は入っているので前回よりは歩くのは楽であるが、それでも傷口は長い。初めの一歩は怖かった。でも歩かないと治らないのである。廊下の窓から見える富士山を楽しみに、歩くのが日課となった。

それと同時に肛門部分の筋肉を鍛えるという体操をしなければならない。簡単な動作のだが、結構傷に響く。

何せ半年も肛門を使っていないので便失禁をする可能性があると言う。看護師からは夜は紙おむつを使った方が良いかも・・・と言われた。又は生理用ナプキンの特大の物。

そう言えば以前同室だった人が、人工肛門取れると後が大変だよって言っていたっけ・・・・。どうなってしまうのか、不安だった。

26日にガスが出た。28日からは水分を取ることを許可され、29日にはヨーグルトのみ食べて良いことになった。これがまたものすごくおいしく感じる。

31日からは三分がゆの食事も始まった。

と言うことは便が出てくると言うことである。でも不安は杞憂に終わった。便をしたいという感覚がある。トイレに行くまで間に合ったのである。初めは下痢状だったが、だんだんと普通になっていくのが分かる。

当たり前のことが当たり前にできる・・・・・ 健康の時には感じなかった事をしみじみと幸せだなと感じるようになった。

便失禁がないと言うことを看護師に報告すると驚いていた。そう言う話は聞いたことがないらしい。私は幸せ者なのだろうか。

ただ便の回数が多いので、恥ずかしい話しだが、痔になってしまった。回診は主に担当医のH先生がしてくれる。先生に訴えても薬を出してくれない、笑いながらトイレで洗ってさっと拭けば治るよ、としか言わない。でも確かにそうであった。

このH先生、私より一回り若い医師である。傷口を消毒してもらうときも、胸一杯広げ、パンツも下げさせられる。そう言う事は少々恥ずかしかった。

でも、この先生も良い先生だ。元気でいろいろと励ましてくれるし冗談もよく言う。痛みで落ち込んでいた私は、この先生にに元気をもらえた。

同室の人は回診のたびに、先生と私のやりとりを聞いて笑っていたとのことだった。

2月に入り、12日にすべての管が抜けた。と同時に退院が決まった。なんと14日に退院してくれと言う。まだ少々傷口が治っていない、というと、そのぐらい自分でで出来るから市販薬買ってやれば大丈夫と言われた。15日には別の入院患者が決まっているという。

もちろん退院できると言うことはうれしい。先生二人にバレンタインデーの手紙を残して晴れて退院となった。

ただ・・・・・。晴れて完治とはならなかった。消化器内科のY先生と、入院中にすれ違ったときに「まだ僕の患者だよ」と言われていたのである・・・・・。

とりあえず29日に外科の外来の予約だけして退院した。

それではまた次回。

このプログが私の気晴らしと生きる力になる場でありますように・・・。
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21日に改めて入院となった。

肝臓には11個のガンがあった。それを二つ・・三つ・・・とまとめて四つのブロックにして切るという。その後に腸を繋ぎ人工肛門を外して、本来の肛門が使えるようになると言う。
 本来は肝臓の手術は胸の下を横に切るのだが、人工肛門をつなげることもあり、大腸ガンの時にきった傷跡をなぞってそのまま一直線に切るという。鳩尾から恥骨まで約30センチの傷跡になるらしい。

入院した日から断食である。鎖骨のしたから点滴用に器具を入れる処置をしてもらった。術後しばらくは栄養剤をいれたり、その都度必要な点滴をするためである。

主治医はS先生だが、担当医としてH先生がついてくれた。手術は二人で執刀してくれるとのこと。

集中治療室の看護師、手術室担当の看護師、麻酔医師の説明を聞き、22日にはまた下剤を飲むことになった。21日には便を軟らかくする薬も飲んでいる。

前回と同様1.8リットルのスポーツドリンク味の物である。この日を境にスポーツドリンクは飲めなくなった・・・・・・・。

23日当日はもう便は出ないというのに、浣腸をされた。鼻から胃まで届く管も入れた。これを入れるのも辛い処置だった。終わった頃には涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃになってしまった。

手術室には9時にはいる。手術前にかかる処置が一時間程度、10時頃から手術開始、8時間程度かかるそうだ。
 まずは背中に痛み止めの管をいれる。手術後にも使用するらしい。それから背中の麻酔、マスクタイプの、口からの麻酔をしてもらった。そのまま意識か無くなった。

外では主人がずっと付き添っていていた。朝8時頃には来ていてくれた。検査では特に異常は見られなかったが、開いてみないと分からないこともあるらしい。その時には手術中断ということもある。

途中で病棟の看護師に何度か声をかけてもらったそうだ。何か言われたか、と聞かれて、何も言われ無いと返事をしたら、順調に手術が進んでいるようね・・・・と言われたらしい。

その日は他にも手術をしている。他の方は次々に無事手術を終えて出てくるが、私はいっこうに出てこない。順調にいっている証拠なのだが、やはり主人は出てくるまで心配でしょうか無かったらしい。

六時を過ぎて先生が出てきて無事に終わりましたよ、と言われたときには心からホッとしたとのこと。

私は私で名前をよばれ、目を覚ました。主人がそばにいてくれた。集中治療室なので長い時間の面会は出来なかったが、互いにホッとしたときである。
そのまま私はまた眠ってしまった。

それではまた次回。

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まずは、日帰りの検査からである。一番初めは胃カメラである。これも大の苦手である。
市民病院の時は、のどの麻酔の他に検査時に腕からも麻酔をしてくれた。なので胃カメラを飲むときには、全く苦痛がなかった。

ところがガンセンターでは腕からの麻酔は禁止であるとのこと。胃カメラを飲み込む事が本当に辛かった・・・・・・。

次には腸の検査である。まずは1.8リットルの下剤を飲まなければならない。味はスポーツドリンクの様である。前日に900ミリリットル、当日の朝残りを飲む。

初めは飲みやすいと思っていた。が、一時間のウチに飲み終えなければならない。次の日にはもう飲みたくないよ‼と思っていた。

次は腸の検査である。まずは浣腸から始まった。12月28日の外科の受診の時に、石の固まりのような物があると言われていた。肛門を触られた。少々、屈辱であったが仕方がない。

白い固まりが出てきた。長く肛門を使っていなかったので、腸の粘液が固まって出来た物だそうだ。それを取り除いて内視鏡の検査となった。

これも麻酔は使えない。まずは人工肛門の所から、である。内視鏡が入っていく感覚はあったが苦痛ではない。後は少し残っている肛門部分の検査である。便が出るはずがないのに便をしたいという感覚がある。短い時間だったので助かったがしばらく違和感があった。

それから注腸検査・・・・・と言われたと思う・・・・・をした。これは100ミリリットルぐらいの造影剤を入れて腸の形を調べる物である。

その造影剤を少しずつ動かしながらレントゲンで見るのだが、そのために上を向いたり下を向いたり左右に動いたり、腹ばいになったり・・・・・・大変な検査だった。

もちろん肛門部分からも入れる。腸の方は一日がかりの検査となった。肛門部分は2~3日は違和感が続いていた。本当に辛かった検査である・・・・・。

幸いにすべての検査に異常がなかった。これで手術が決定である。検査は辛かったが手術が出来ると言うことに喜びを感じていた。

手術の出来るガンはいいガンであるという。出来ない人も実際多いのだ。有り難いことである。

それではまた次回。

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Y先生から紹介された消化器外科のS先生、ものすごく第一印象がよかった。細身のおしゃれな感じのする医師である。

年末の26日、別の病院でのペットの検査、そのままがんセンターに2泊3日の入院で血管造影検査をし、S先生の診察を終えての退院となった。

私は正直閉所恐怖症である。MRI検査も言われたが、嫌だと言ったらじゃあ受けなくても良いよ言われた。その代わりにペットの検査である。CTよりやや長めの大きさの機械、一枚の写真を撮るのに2分かかる。私の身長だと15分ぐらいかかるそうだが、それでも辛かった。

それが終わってすぐに入院した。次の日に血管造影となったが、当日話を聞いて驚いた。検査そのものは一時間もかからないが、足の付け根の動脈から検査をするので、一晩真上を向いたまま動いてはいけないそうである。それがとても辛いとのことだった。
検査終了後、右足は固定される。尿管も入れられた。苦しい一晩だった。

3日目の午後、S先生の診察の時間となった。第一印象のように、とても良い先生だった。大変なことなのに、大変ではない事のように聞こえる。丁寧に易しく説明してくれる先生であった。手術を安心して任せられる・・・・・と思った。

ペットも造影剤の検査もどこも異常なしという結果だった。

そこでまず最初に言われたことが「取る?」の一言だった。意味がよく分からなかった。手術するのだからガンを取るのに決まっている。何を取るの・・・・・・を聞こうと思ったら先生の方から人工肛門を一緒に取る手術もしましょうとのこと。

最初の処置がとてもよかったそうである。本来ならガンが破裂すると、その飛び散った破片からあちこちに転移することが多いらしい。私の場合、同時に見つかった肝臓ガン以外に転移が見られない。

取りますか?どうしますかと聞かれたが、もちろん答えは「取って下さい」である。夫婦してうれしさで涙が出てきてしまった。

先生からは、そう言うと思っていたのでもう予定は組んでいますとのことだった。年明けの14日から16日の間に、胃カメラ、大腸の内視鏡等の検査、21日に入院して23日の手術がすでに決まっていた。

ただ、この頃にはストマの取替えが上手になっていた。主人がやってくれていた。今までの苦労は何だったのでしょう・・・・とポロッと言ってしまったのだが、一瞬の間の後、無駄にはならないでしょうと言う返事だった。涙を浮かべながらの大笑いとなった。

それではまた次回。

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3日に退院後、次回の抗ガン剤投与は13日の火曜日となった。今度からは通院での治療だ。

入院中には、医師が驚くほどの治療効果があった。二度の投与で腫瘍マーカーの値が激減したそうだ。こんなに減っているのは今まで見たことか無い、と言われたほどだ。

九日か十日頃だったと思う。37度台の熱が出た。ポートが原因だろうか心配になったが微熱である。13日には受診があるから様子を見よう、と主人と話し合った。12日は姑が退院して老健に戻ることになっている。火曜日で良いよ・・・・・と簡単に考えていた。

ところが、である。日曜日になって39度近い高熱が出た。病院は休診である。

月曜日になってやはり心配になり、病院に電話をしてみた。すぐに診察に来なさいとの事だった。娘がたまたま大学が休みだった。私と娘を病院におろし、主人は姑の所へと向かった。

すぐに処置室に行かされた。そこでY先生をしばらく待つことになった。一時間ぐらい待ったときだろうか、先生が駆けつけてくれた。初めの一言が「微熱が出たときに何故来なかったの。治験なのだからどんな副作用があるか分からないんだよ。このままじゃ死んじゃうよ」と怒鳴られた。

それは本当に私のことを心配しての言葉だ、と言うのがよく伝わった。第一印象とは全く違う、温かい言葉だった。

すぐに入院となった。娘には主人にすぐに連絡を取ってもらい、入院に必要な物を持ってきてもらうよう頼んだ。旅行用バッグにいつ入院しても良いように用意していたのである。

初めは大部屋に入り、いろいろと検査をしてもらった。その結果、個室への移動となった。白血球がほとんど無かったのである。
 白血球を増やす注射、抗生物質の投与を一週間ぐらい続けただろうか。熱は40度近くまであがってしまった。
トイレ以外は部屋から出ることは禁止、トイレも車いす使用となってしまった。

解熱剤も処方された。ロキソニンという痛み止めにも使われる薬である。この薬はよく効くのだが、汗を大量にかく。効き目が無くなるとひどい寒気がおそってくる。熱よりもそちらの方が辛かった。

熱の原因はやはりポートだろう・・・と言う診断がくだされた。これを抜かない限り熱は下がらない。結局また取り除く処置をするしかなかった。

それでもしばらくは熱は続いた。熱が下がり始めた頃から、足にはしかのような赤い斑点が出て来る様になった。それがだんだんと大きくなり、足からお腹へ、お腹から胸へ、ついには顔へと体全体が赤黒くなってしまった。これがなんなのか全く分からない。ついには皮膚科の医師を呼ぶととなった。

塗り薬をもらい様子を見ることになった。はしかではないことは分かっている・・・・・幸いにも一週間程度でだんだんと足の方から治ってきた。

当然抗ガン剤の治療はストップした。11月30日付けで治験の治療も打ち切りとなった。

退院できたのはクリスマス直前、12月19日だった。

ここでY先生から手術という話が出た。26日に再入院して血管造影検査をするという。外科の医師も紹介された。その話はまた次回。

余談になるが、この入院で冷たいと思っていたY先生の印象が全く変わってしまった。よく笑う先生である。冗談も出るようになった。
 ある日、先生にお子さんはいらっしゃるのですかときいた。ちょうどポートを外したときの傷跡を消毒するときである。聞いたとたんに先生が固まった。消毒薬を含ませた脱脂綿を持っていたのだが、ポロッと落としてしまった。先生はピンセットを持ったまま動かない。看護師が「先生、落としてますよ」とあわてている。
 そこで先生から出た言葉が・・・・「三歳の娘がいるのだが、僕になつかないんだよ」であった。私は大笑いをしてしまった。一瞬父親にもどっしまったようだ。やはり父親にとっては娘はかわいい物なのだろう。

もう一つ余談。後から言われたのだが、この時二度ほど先生があきらめたらしい・・・・。ポートをとり外していても熱がなかなか下がらなかったからだ。後は全身が赤くなったとき。命の危険があったとのこと、手の施しようがないと思っていたそうだ。

生きていてよかった・・・・・。今でも心からそう思っている。

ではまた次回。

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