お出かけ

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もう最終日の話である。この日の予定は、違う意味で大事な日だった。

コースは、ひめゆりの塔・ひめゆり平和記念資料館=おきなわワールド=琉球ガラス村・昼食=国際通り自由散策=那覇空港であった。

ひめゆりの塔は父さんも書いてあるとおり、私の亡くなった伯父が行って欲しいとお願いされた場所である。その後初恋の相手とはあの世で出会い、お友達から始めましょうと言われたそうだ。いまごろ〝青春真っ最中〟であろう。良いことである。持っていった花と現地で買った花を供え、ラベンダーの香りのお線香を焚いてきた。

ただ、やはり私はすべてを見ることが出来なかった。まずはひめゆりの塔で周りの臭いや空気にむせ、その場に立っているだけで精一杯だった。資料館内も初めはまだ我慢できたが、ひめゆり部隊の10代前半の高校生の写真がパネルとして展示されている部屋は、入ったとたんに寒気と大きな悲しみ。涙が止まらずそのまま何も見ることが出来ずに、あんぱん家族は早々に出てきて、休憩所で他の方を待つしかなかった。

父さんは、「悲しまないで下さい、私達は一生懸命生き抜きました、生きて家には帰れなかったけれど、家族の為、友人のため戦い抜きました、褒めて下さい・・・。」と言うけれど、私には全く正反対の感情がある。その言葉が悲しいの・・・・・・。ウチの子どもたちと同世代の人たち、それを私は我が子にもそう思えるか・・・時代が違っていたらと、つくづく思う。女親の感情かなぁ。

沖縄だけではない、唯一被爆国として、戦争は伝え受け継がれなければならない、とつくづく思った。まだ亡くなった人のお骨は、沖縄の土地の何処かにあるだろう。

今、普天間基地でも揉めている。帰る途中、右側にアメリカ軍基地・左側に自衛隊基地という道路を通った。両方とも金網・鉄柵で覆われているが、基地を覆っているのではなく、一般道路が金網に覆われているのではないかという錯覚にとらわれた。

偉そうなことを言ったかな。今までは他人事だと思っていた。いくら戦争が・・・米軍基地が・・・と言っても他人事だと思っていた。


ただ、沖縄にも住んでいる人がいる。観光地としても有名だ。修学旅行生も多く行っている。それも現実なんだよね。今回沖縄に行って、私は何を得ることが出来ただろうか。少し考えてみたいと思っている。

そうそう、最後の写真になるが・・・

 鍾乳洞   シーサー

左側は鍾乳洞の中である。おきなわワールドにあるのだが、この施設の長さに相当する距離を歩いた。つまり入り口から入って、出口で上がったところのさきにはもう施設がなかった、と言うことである。鍾乳洞にはいると否が応でもおみやげ屋さんやいろんな施設を通らないと、帰ることが出来ないのだ。

でもそれも面白かった。いろんなおきなわ特有の名産やそれを体験できる施設がある。子どもがいろんな物を作っていました。下手な観光より良い想い出になりそうでした。私自身〝その土地でしかできないこと〟を経験するのが大好きなので。

右側は勿論シーサー・・・・ですよね。面白いので父さんがすぐに撮影してしまいました。勿論高いので、購入できずに見るだけとなってしまいました。

最後の国際通りはもう疲れてしまい、何と沖縄で初の〝ドクターフィッシュ〟を経験。10分500円という安値、早速四人で足を入れ・・・・あまりにものくすぐったさで前半5分は大騒ぎ。残りの5分で綺麗に掃除して貰いました。

それで今回の沖縄旅行は終わり。羽田に着いたのが午後7時、預けていた荷物を受け取り自宅に帰ってきたのが夜遅く・・・でした。疲れたけど、きっと私には良い経験になったことでしょう。



ではまた次回。

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その前に・・・・・。今日は緊急診察の予約を入れました。右脇腹の痛みが消えないからです。CTとMR検査の予約を入れ何が原因かを突き止める事にしました。先生も相変わらず首をかしげています。父さんは帰ってきたら治ると言ったのにねぇ。

まぁ、原因が分からないことには仕方がありません。どんな結果になっても治療方法が分かれば安心します。忙しいけど頑張らねば

その合間に、息子の進路相談や弁護士さんへの依頼、本当に忙しい毎日をおくっています。医師からは骨転移なのだから無理せずに、と言われているけどもう此処まで来たら内緒です。許可なんて取る暇ありません。

では、沖縄二日目の話。その日は何事もなく無事に終わった一日でした。予定は・・・・・・。

琉球村=万座毛=パイナップルパーク・パイナップル食べ放題付き=海洋博公園=美ら海水族館・昼食=ギャラリア沖縄での買い物です。買い物は免税店でもありましたが、私たちには関係ない所でした。

とりあえず写真をアップ。

万座毛 海

左の写真は有名ですのでお分りの方もいるかしら。海水で岩が浸食され、象の鼻のような形に見える、観光スポットです。さすが沖縄、海は何回見ても綺麗ですね。見飽きません。


  霧

海洋博公園の入り口にあった霧の降る機械。確か、東京でも駅にも有り涼しさを呼ぶとニュースになった物と同種類だと思います。確かに涼しかったですよ。多くの子どもたちがびしょ濡れになるまで遊んでいました、それでは意味がないような気がしますが・・・・。


  人工しっぽ

これはフジちゃんという名のイルカさんです。これも皆さん覚えているでしょうか。

尾びれが病気で切れて無くなってしまったところを、ブリジストンが自社の技術と知識を使いタイヤを利用して試行錯誤の跡、立派な尾びれが再生したというあのイルカさんです。

それが私たちの目的の一つでもありました。さすがに年を取ったのか元気はなかったようですが、別のプールで堂々と泳いでいる姿を見て、私も頑張らなくては、と元気を貰いました。

美ら海水族館は坂道が大変だ、と最初に言われていましたが、私たちから言えば旭山動物園の半分程度、軽い物です・・・・・。

とはいいつつ、やはり疲れました。免税店の買い物は元々興味なく(買えないというひがみもありますが)買い物はせずにその間はゆっくり休んで皆を待つことに。ホテル内にあるレストランのバイキングで夕食をすませ、早く寝ることにしました。



ではまた次回。

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沖縄第一目の予定は、那覇空港到着昼食、その後首里城・守礼門=東南植物楽園=座喜味城跡=残波岬・ホテルでした。


守礼門  首里城

これは首里城・守礼門です。左側中央の二人はもちろんあんぱん夫妻ですよ、。今頃2,000円札はどこへ行ってしまったのでしょうか。

 首里城に   ホテル 

首里城での子ども二人と、泊まったホテルです。夕焼けなら綺麗だったでしょうが、その時には夕食先に行っていました。そこで事件が起きたのです。父さんのところで読んだ人は知ってますでしょうか。

オプションでの夕食です。沖縄料理と言うことで兎に角楽しみにしていました、ホテルまで向こうの方が迎えに来てくれました。

乗ったマイクロバスですぐに発生・・・私のみ臭いでむせていたのです。運転手さんの真後ろだったので我慢して到着。付いたときにすぐさま父さんに言ったのですが、匂わないとのこと。店に入ってその臭いの元が判明、〝お香〟でした。それも微かに匂うのではなく蒸せるほどの臭い。それが人間を通して車にも着いている。

そう思っていたのは私だけでした。兎に角空いている席に通して貰い、踊りと唄を見物しながらの食事、美味しいのですが喉を通りません。父さんと席を変えてから食事は取れたものの父さんがアウト。だって真後ろに異様な物があるのから。神棚ではありません。私にはいはいにしか見えませんでした。遠くにまで席を外して貰ってもお香でむせ、料理の味なんて全くせず、途中で断念・帰るることにしました。

靴を履くときには私はおお泣きです。首里城の女官のせいらしいですが。悲しくて悲しくてその場に居る事はできませんでした。

食事が取れなかったのは残念なことでしたが、帰ってきてホッとしたのは事実。海を見て癒されていました。ホテルには珍しく大風呂と露天風呂のあるホテル。体を休めました。

私にそんな感覚があるなんて・・・・鈍感だったと思っていたのですが、やはり病気で〝死〟を間近に見た私、感受性が強くなったのでしょうか。人の悲しみに敏感になってきているようです。良いことだと捕らえていきたいです。



ではまた次回。

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しばらくは治療もないし、弟のことも殆ど解決しているし(多少残っているが)沖縄のことを書き綴っていきたいと思います。

二泊三日の予定しか取れなかったので、今回は本島だけと思っていましたが、二度と沖縄だけには行けないと感じています。

勿論、楽しいことの方が多かったしノンビリすることが目的だったのですが、申し込んでからの方がいろいろあったかなぁ。
 申し込んだこと自体、勢いでした。余命を宣告され、私もパニックになっていたでしょう。ターミナル駅を乗り換えに使っている娘に頼み、〝沖縄旅行〟のパンフだけ貰ってきました。三日間という日程なら、関東に住んでいる人間にとって、もっとゆっくりのんびりする場所はたくさんあったはずなのに、何故沖縄なのか・・・・。

理由は後から分かりました。

戦死した私の伯父・・・・・父方の伯父ですが、この長男と、次男である父・三男で20歳で病死んだ叔父とは母親が違い、複雑な家庭でした。伯父は15で戦地に向い、21年の終戦翌年にソ連の収容所で戦死したと言う一報だけの報告だと聞いていました。

実は、銃弾で右脇腹を打たれそれが原因で無くなったそうです。それが今の私の脇腹が痛いと言っている場所らしいです。先祖の声が聞こえる・・・・ついに私の先祖の声まで聞こえている父さんがそう言っています。

そして亡くなった実父と施設に入っている実母が言っている〝話と事実〟が正反対だと言うことが分かりました。父と母が舅・姑、戦死した伯父にしたこと、それと同じことを弟がしているそうです。

私たち姉弟は正反対の性格。弟は両親にそっくりだそうです。私はなくなった姑。母は姑の介護を全くしなかった。弟もそうです、母は神様に仕返しをされた・・・。子どもの頃は信じていた〝私は姑の生まれ変わり〟と言う言葉。母は姑を嫌っていましたが、実際は父が自分の実の母を嫌っていた。

でも本当は物優しい姑と伯父だったそうです。財産の件で長男であった伯父の原戸籍を取りに行ったとき、姪っ子がやっと僕を迎えに来てくれた、と、父さんに言ったそうです。

死亡診断書だけでこの世にいなくなった私の実姉と、伯父と祖母の写真をあんぱん家の仏壇に置きました。あの世で3人で〝やっと心癒される家に帰ってきた、有り難う〟と泣いているらしい。

その伯父か言うのです。

ひめゆりの塔にまつられいる高校生の中に、僕の初恋の人がいる。なのでかなわないまでも、僕の気持ちを伝え花を供えて欲しいと・・・・・。それと同時に脇腹の痛みもなくなるよと。

最終日に予定されているコースです。すぐに一年は持つという特殊加工された花を買い求め持って行きました。(その話はまた後でしますね。)

では、また明日に続きます。



ではまた次回。

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今日はちょっと遠出して、明治神宮まで行ってきた。県内にも全国で10番以内に入るぐらいの大きな神社があり、いつもはそこに行くのだが、たまには違う所にも行ってみようという事で・・・

原宿は父さんが若かりし頃、通っていた学校もある。今年から夕方イルミネーションも復活したとのことで楽しみに行ってきた・・・・つもりだった。

さすが明治神宮、普通にはたどり着かなかった。昔天皇がお召し列車に乗るホームが臨時のホームとなり、山手線外回りはそこしか止まらない。中は一歩通行となる。それででもまだ最初は良かった。それがだんだんと人が増え、危険と言うことで、何カ所かでロープで通行止めになる。前が空いたら入れるが、混んできたらまた通行止め。

結局駅から明治神宮の前に着くまで一時間以上かかった。お巡りさんが、これから混んでくるから早めに行った方が良いよ、とは言うが、午後から出掛けたのだから、ゆっくり歩こうが速く歩こうが、そんなに大差ない。


そのときの写真が・・・・・

                     明治神宮

目の前にいるように見えるが、ここからも10分程度は待たされただろう。

もう私はダウン寸前だった。表参道まで行くつもりだったが諦めた。参道の途中でイベントをしていて、そこで一休み。イルミネーションどころではなく、そのまま電車で帰ってきてしまった。それもしっかり遠回りして、始発駅から座ってね。

まだ足腰が痛いあんぱん母さんである。来年こそ痩せて体力付けて、元気な姿で初詣いきたい物である。そういうことで、今日は早く寝よう。

でもそれでもしっかり楽しんできた私である。



ではまた次回。

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